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進路の部屋

合格体験談 第8弾 苦手な英語でも克服できる!

2018/07/15

苦手な英語を克服していった過程が克明に述べられています。
 苦手な人必読!
   同志社大学 神学部 神学科    特進 私文 高入生 男子

 私は元々勉強が非常に苦手でした。特に、英語は、高3になった時点で三単現のsから始めなければならないほどでした。そのような状況だったので受験勉強を始めるにあたり何をするべきなのか皆目見当がつきませんでした。とは言え、大学受験において英語はほぼ必須ですし、まして私立の文系を志望していたので英語は勉強せざるを得ませんでした。それでこれまでやったこともない、やり方もわからない英単語を覚えるという作業から始めることにしました。
最初は、そもそも発音が綴りと一致しているとは言い難いものは、覚えられるはずがないと思い、非常に苦戦しましたが、基本的な単語がわからなければその後の学習もしようがないので、漫然と暗記する作業を続けました。あまりにダラダラしていたので、システム英単語の3章までを終えたのは10月末だったほどです。そんな学習で英語がわかるようになるはずもなく、7月になろうという頃、先生に薦めていただき、基礎中の基礎の文法の参考書を読み始め、やっと文法というものに注意を払うようになりました。そのように非常に遅々とした勉強だったため8月に行われたセンター形式の模試では半分も点を取ることが出来ませんでした。しかしその時、得点以上に危機感を覚えたことは、長文が全く読めず、話題すら理解できないということでした。 それでも、これまでろくに勉強したことがなかったため、ただ学校で講習を受けて帰宅すれば暗くなるまで昼寝をし、起きてきてノルマとして自分に課したページ数の単語帳と参考書を眺め、飽きてきたら世界史のノートとプリントを眺め、寝て起きて次の日同じことを繰り返すという夏休みを送っていました。
そして迎えた夏休み最後の英語のBTで先生が薦めて下さったセンターレベルよりも少し易しい長文が30題程載っている問題集を一日一題取り組むことにしました。最初は全く読むことが出来ず、目標回答時間15分の問題に1時間半以上かけてなんとか解答し、そこからまた1時間半以上かけて日本語訳と照らし合わせて英語のどの部分が日本語訳のどこにあたるのか、またその意味を成しているのは単語によるものなのか文法によるものなのか、そしてそれは何なのかを分解して覚える作業を合間で何度も眠りこけたりしながらも毎日続けるうち少しずつですが、英文が読めるようになっていきました。そして10月に受験した模試ではついに100点を超えることができました。
志望校である同志社大学の学力水準にはまだまだ遠いものではありますが、自分の中では大きな進歩でした。しかし、良いことばかりではなく、それまで得意科目だと思い込んでいた世界史の点数が大幅に低下し始めました。一度失敗するとその後にも響いていくもので、その時期連続していた模試の度に自分の判断や考え方、知識にどんどん自信が持てなくなっていき、一度書いた答案を訂正し、余計に誤答するということが頻発しました。そしてそんな状況をどうにかしようと勉強するごとに知らなかったことや誤っていたこと、覚えている気になっていたこと、忘れていたことが噴出して果てがないような気がして、苦しんだことを覚えています。
そんなスランプのようなものは3か月以上も続いたのですが、不思議と「諦める」や「心が折れる」といったことはありませんでした。恐らく明確な目標や夢が無い上に努力というものが嫌いなので自分で「頑張っている」といった感覚が無かったせいでしょう。それで、日々の勉強を放り出してしまうこともなく、これまた漫然と続けるうちセンター本番の頃には調子を取り戻すことができました。その頃になると古文を取り上げて勉強したことがないことに気が付くのですが、それでも特筆してわからないということもありませんでした。授業や講習で触れているだけでも漠然と読むことはできるようなりますし、少なくとも記述問題のほとんど無い出題形式の同志社大学の入試問題ではそれで十分でした。今でも苦手な英語も11月頃から過去の入試問題(以下過去問)に取り組み始め、だんだんと制限時間内に解くことができるようになっていきました。
ある程度基本ができてからならば過去問で量をこなすことで出題傾向がわかってきたり、時間配分が掴めるのでとても有効だと思います。それは過去問に対する慣れに過ぎず、真の学力では無いかもしれませんが英語を使いこなすことではなく大学に進学することを目的にするならばそれで十分だと思います。
そうして大学受験を終え、第一志望の大学に合格して思うことは、勉強法というものは本当に人それぞれだということです。私は集中することや、勉強したものを一度で覚えるということが苦手なので、1日中勉強と休憩の境界線がほとんど無いような状態でダラダラと何時間も座り続けて時に床に散らばった教材を枕にすることもしばしばある代わり、毎日欠かさず勉強していました。無理に効率化を図ることはせず、自分に可能なペースでやっていくことも一つの手ではないかと思います。効率化を図ることも受験勉強とは別の努力を必要とするからです。効率が良かろうと悪かろうと、大学受験に関しては合格点が取れればいいのですから決して無限を相手にする訳ではありません。効率とは速さのことなのでたとえ身につくのが遅くとも時間をかければ必ず同じものを得ることができるはずです。だから、効率良く勉強できる人はそれを活かして余裕を持って勉強したり、もっと多くを学ぶことを目指したり、そうでない人は早くから始めたり、勉強時間を延ばしたり、覚える作業を減らし問題演習に時間を割いたりその逆だったり、時間の使い方を工夫するなど人それぞれの勉強の仕方があります。合否を分けるのは正しい勉強法などではなく自分という人間、そして目標とする進路に向けて必要なもの(取らなければならない点数やその点数を取るために覚えること等)を正しく理解することなのだと強く感じました。

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