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2008年08月31日

私学教員適性検査の実施

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  8月31日(日)、昨年度に引き続き園田学園中学・高等学校において「平成21年度兵庫県私学教員適性検査」が実施され実行委員として出席しました。この適性検査は「兵庫県私立中学・高等学校連合会」の主催で毎年8月の下旬に実施されており、実行委員の学校が持ち回りで担当することになっています。今年の受検申込者は576名でしたが欠席者が67名あったため、最終の受験者は509名となり昨年度を下回ることになりました。受検生の中には大阪府や兵庫県の公立中学や高校の採用試験を受検している人も多数含まれているようです。
私学においても団塊の世代の退職により、後継者となるべき優秀な人材の確保をはかっていかなければならない状況下にありますが、気になるのは受検者数が年々減少してきていることです。今回は国語、地理歴史(日本史・世界史・地理)、公民(政治経済)、数学、理科(物理・化学・生物)、英語、家庭の各教科に分かれて80分の専門科目と50分の論文記述が行なわれました。途中、実行委員のメンバーで各試験会場を巡回させていただきましたが、真剣に問題に取り組んでいる姿が印象的でした。
  本日の試験結果は厳正に採点の上、9月下旬には兵庫県私学連合会の『適性検査受検者名簿』に登録され、今後各私立中学高等学校が新規に教員を採用する際の参考となります。従って、この中の何人かが実際に兵庫県の私立中学や高校において教壇に立つようになるのは間違いありません。
  昨日のイー・スタッフ主催の講演の中でも触れましたが、教職を目指す上で最も大切なものは〝人を育てる〟という高い志であると思います。先生に対しては「教師」「教諭」「教員」とさまざまな呼び方がありますが、これからもたゆまぬ研鑽を続け是非生徒や保護者、同僚から尊敬される「教師」を目指していただきたいものです。


2008年08月30日

教職を目指す皆さんと

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  8月30日(土)、株式会社エデュケーショナル・ネットワークのイースタッフが主催する私学教員志望者を対象にした研修会で約1時間半にわたり話をしました。同社では、教員免許取得見込みの大学4回生および26歳以下の教員志望者を対象にした「トップネット私学教員養成所」という若手教員の育成を目的とした研修制度を設けています。その概要は、あらかじめ研修生を選抜し、選抜試験をクリアした教員志望者のみが10回にわたる研修を受講できるということになっています。この研修制度はスタートして今年で6年目を迎えるとの事ですが、本日の受講対象者は15名です。最初に私に対する簡単な自己紹介がありましたが、さすがに選抜されただけあって目の輝きが違うように感じました。講演はパワーポイントを使って、「日本や世界の現状とこれからの世の中の動き」「社会で役立つための力」「成長している企業の特徴」「学校現場における課題と生徒の実態」「学校改革の取り組み」「公立と私立の違い」「学校と家庭の連携による子どもの育成」「教職を目指す皆さんに期待すること」等を中心に行ないました。
  その後、質疑応答の時間をとっていただきましたが「公立と私立の違いは?」「民間企業から学校現場に来て最も苦労したことは?」「人間力をつけるための著書は?」「元気の秘訣、健康維持のための食事は?」といった質問が次々と出されました。更に、講演後は2つのグループに分かれて「求められる教師像」というテーマで討議を行ない、最後に私からまとめの言葉を述べました。 研修生にとって本日の研修は3回目ということですが、自分なりのゆるぎない思いを持って尊敬される教師をめざして欲しいと思っています。


2008年08月29日

他に学び行動する

  今年はカナダへの出張があったため、夏期休業の前半は例年に比べると外部の方とお会いする機会は少なかったようですが、一旦人脈ができるとインターネットの活用によってさまざまな情報が入手できるようになるということを実感しています。数多くの塾や教育関係の方、公立・私立の校長からも現場の実態や課題を知らせていただいています。また、本校に対しても忌憚のないご意見や助言ももいただき本当に有難いと思っています。
  人間は自分にとって厳しいご意見や苦言を呈する人を何となく遠ざけたいという心理が働くものですが、成長している人や生成発展している組織というのは必ず自分の方から積極的に働きかけを行なっています。以前『大企業病』という言葉を耳にしましたが、この特徴は「その組織の中にいる人が閉鎖的で、他の動きがどうなのかを把握せずに自分達はよくやっている、前よりは良くなっている、と思い込んでいる。」ということのようです。「進歩なきものは退歩」と言われますが、今は時代の変化が早いため、現状維持の姿勢では確実に遅れをとることになります。
  特に、学校の場合は意識して、外部の方の意見を素直に聴いたり、他の優れているところをとり入れるという姿勢が大切であると思います。本校も学校改革をスタートさせてまだ3年目であり、課題は山積していますが、常に新しい視点に立って学校づくりに取組んでいきたいものです。

2008年08月28日

文化祭に寄せて

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  恒例の文化祭jまで残すところ、一週間になりました。生徒達はクラスやクラブを中心に、それぞれ創意工夫を凝らしながら準備を進めています。先日、文化祭の開催にあたって私の思いを〝栞〟の冒頭に書きましたので、紹介します。
  〝今年の文化祭のテーマは 『We,Passenger on a Beautiful Glass Boat』 。
この意味は、〝私達の地球 それはガラスでできたボートのように美しくはかない。私達はその乗組員であるということを決して忘れてはならない。〟ということです。
  今年の文化祭のテーマについては、生徒会の役員が中心となって、ずいぶん前から環境問題を取り上げようという方向づけがなされていましたが、最終的に英語科の先生からのアドバイスもいただき、このテーマに決まったようです。
   私達が住む青い星、地球!この地球が今悲鳴を上げています。温暖化、自然環境の破壊、大気汚染、オゾン層の破壊、水・土壌の汚染等のさまざまな環境問題が生じてきています。地球46億年の歴史の中で、このような深刻な環境問題が起こってきたのは、ここ百年というごく最近のことであり、とりもなおさず人間の活動そのものに起因しているのです。 
  本校では、今年から5月29日を『環境の日』に定め、環境活動を推進していくことにしました。 環境に関して大切なことは一人ひとりが自分自身の問題として、〝かけがえのない美しい地球を守る。そして、後の世代に何を残せるかを考え行動する。〟ということです。
  決して忘れてならないのは、環境への配慮は人間に対する優しさや思いやりに繋がるということです。今、食料、エネルギー、水、ゴミ等取り組むべきことは数多くありますが、「個人で」「学校で」「家庭で」「仲間で」「地域で」身近なすぐできることから始めましょう。  
  この文化祭に向けて、これまでクラスやクラブにおいて取り組んでこられた成果を遺憾なく発揮し、是非素晴らしい青春の思い出にしてくれることを心より願っています。
最後に、文化祭の開催にあたって、企画・運営に携わっていただいた生徒会の役員や実行委員、各学級委員、各顧問の先生方に心より感謝いたします。〟 

2008年08月27日

自学自習の習慣づくり

  世界には勉強したくてもできない、学校に行きたくても行けないといった子ども達が数多くいます。これに比べて日本ではほとんどの生徒が高校に進学し、半数以上が大学進学する等学校に行くのが当たり前ということになっています。昔のように苦学して高校や大学を卒業したという話も最近ではほとんど聞きません。
  また、幼児期から習い事や塾通いをしている子ども達も多く、与えられることに慣れ切てしまっています。そして、自分の意思というより親の意思でひたすら大学受験を目指すということになっているのです。言わば〝水をたっぷり含んだ脱脂綿〟という状態になっており、新たな水を吸収することができなくなっています。この結果、勉強が楽しいものではなく苦痛に感じる生徒や何のために勉強するのかという意義が解らなくなってしまっている生徒も出てきています。かつて〝地球が100人の村だったら〟という本が出版されましたが、この中には大学に進学できるのはたった1人であり、文字が読めない人が70人ということが紹介されています。
  昨今の傾向として、自分自身で考えずにすぐに答えを求めるという傾向も強いようです。これは学校に限らず、一般の社会においても同じようです。しかし、すぐに答えが示されるとその時には解ったように思いがちですが、実際には自分のものになっていないことが多いのです。本当の力をつけるためには、自分で苦労して学び考え抜くということが不可欠です。
  〝教育というのは英語ではeducation と言いますが、この意味は外に引っ張り出すということです。西洋の諺に〝馬を湖のほとりに連れて行くことはできるが、馬に水を飲ませることはできない〟というものがありますが、教師や保護者の役割は子ども達が自分で水を飲める「自学自習」の習慣を身につけるように指導してあげることではないかと思っています。

2008年08月26日

TOP研修(学園経営会議)の開催

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  8月26日(火)、TOP研修(学園経営会議)を開催しました。メンバーは常務理事と各校種の校長・教頭・園長、それに事務局長以下スタッフの12名です。本学園では月1回このメンバーによる運営委員会を開催し、各校種の取り組み計画や実施結果の報告等を行なっていますが、中長期的な視点に立った検討については十分とは言えません。
  このため、例年8月の終わりのこの時期に、学園全体の中期的なテーマについて討議する場を持つことにしています。本日は9:30から18:00過ぎまで次のような課題について意見交換しました。
    (1)学園の中長期シミュレーションと課題
    (2)各校種の課題と対策
    (3)教職員の資質向上
    (4)人事施策の検討
  どの課題についても簡単に解決できるというものではありませんが、活発な意見が交換され、学園経営に携わるメンバー全員の共通認識は深まりました。
また、間もなく迎えることになる創立六十周年記念の学園史編纂に関しても前向きの意見が提出され、大まかな方向付けがなされました。
  60年と言えば人間では還暦に当たります。これを機に各校種がそれぞれの立場で改革を進めつつ学園としての総合力を発揮していきたいと思っています。

2008年08月25日

教職を目指す皆さんへ

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  夏休みに入る前に㈱エディケーショナル・ネットワークから “8月の末にこれから教職を目指す人達に話をして欲しい”という依頼がありました。軽い気持ちでお引き受けしましたが、その日も近づいてきました。
  一方、雲雀丘学園においても経営トップ会議で「望まれる教員像」について話し合いの場を持つということになっています。共にどのようなまとめ方にするか自分なりに色々と考えていましたが、この際教師としてどのようなことに心がけなければならないかという視点に立って『教職を目指す皆さんへ』というタイトルで約40項目にわたりまとめることにしました。
  主な視点は、「確固たる人生観や志」「学ぶ姿勢」「行動指針」「世界の動き」「日本の現状と課題」「生徒の現状」「社会で役立つ力」「学習方法」「保護者との連携」といったものです。
  いずれも、これまで校長通信に掲載したり、講演で話してきた内容が中心ですが、まだ十分ではありません。今後色々なものを付け加えることにより更に内容を充実させていきたいと考えています。

2008年08月24日

鉄道模型フェスティバルを見学して

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  本校にはさまざまなクラブがありますが、「鉄道研究部」というあまり他校にはないユニークなクラブがあります。
  8月23日(土)、阪神百貨店の8階催し物会場で開催されている『鉄道模型フェスティバル』を見学しました。会場には多くの団体のブースが所狭しと展示されています。
  私が訪れたのは午後7時過ぎということでしたが、夏休み期間中ということもあり、会場には多くの子ども連れの家族を中心に大勢の人が来場されており、大変な盛況でした。
  本校の内容は「鉄道模型運動体験」や「部員の研究発表」「鉄道写真の展示」「チラシの配布」等で、中学1年生から高校3年生まで18名の部員が交替で説明を行なっています。小さな子ども達が、生徒の指導に従って自らスイッチを入れて、楽しそうに電車を動かしている姿が印象的でした。また、隣のコーナーでは色々な鉄道グッズが販売されており、多くの人がこれらを買い求めていました。
  この催しは26日(火)まで開催していますので、近くに行かれた際には是非立ち寄っていただきたいと思っています。

2008年08月23日

AO入試の功罪

  近年、AO入試を実施する大学は国公立・私立共に増加してきています。
  AO入試の受験生にどのような資質・能力を期待しているかという問いには、1.コミュニケーション力2.探求心 3.論理的思考力が上位を占めているようです。従って、はっきりと自分の考えを主張できる、課題にじっくりと取り組める、そして世の中の色々なことに興味があり、自分なりの目標を持っているということがポイントになります。言い換えると〝将来社会で役立つ実践的な力〟の可能性を持っている生徒ということになるのかも知れません。この面では、素晴らしい選抜法であり、アメリカの大学では通常行なわれている入試のやり方なのです。しかし、一般入試合格者と比較すると、基礎学力不足は否めないなどの理由で、AO入試合格者に対する特別教育(フォロー教育)を実施している大学も出てきています。これは大学側があまりにも入学者数の確保にこだわるため、安易な選抜方法をとっているということにも問題があると思います。
  点数で表せる学力と自分の考えを文章や口頭で表現する力や点数で表せない力は決して相反するものではありません。AO受験に際しては、テストがないからといって、基礎学力をつけることをおろそかにせず、取り組んでいくことが何よりも大切であると思っています。

2008年08月22日

AO・公募推薦入試受験者への面接指導

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  間もなく、多くの大学でAOや公募推薦入試がスタートすることになります。本年度は生徒の能力や適性と大学卒業後の進路を個別に検討した結果、AO・公募推薦入試受験者は最終30名になりました。これらの生徒に対しては、進路指導部や担任が自己推薦書や志願書の作成、面談等の個別指導を行なった後、最終的には私が動機付けも含めた面談を実施することにしています。
  授業はじめの昨日、受験する生徒達に対して、私からAOや公募推薦入試受験にあたっての心構えについての話をしました。話の内容は、〝何のために大学に進学するのかをよく考えて欲しい。大学進学が最終目的ではなく、将来どのようなことをして社会に貢献するかが大切である。そのために志望動機をしっかりと整理し、自分の言葉で表現できるようにして欲しい。〟というものです。
引き続いて、本日から個別の面接指導を実施することにしました。幸い現在授業は午前中で終了するため、本日は5名の生徒に対し一人約30分かけて、入室の仕方や挨拶、頭髪、服装、話し方といった基本的なものから受験志望の動機やこれまで特に注力してきたこと、本校で何を学んできたか、自己のセールスポイント等の質問を通じて行ないました。その上で、各人毎に受験までに準備しておくべき課題を示し、自分なりにまとめるように指導しました。この面接指導は来週一杯続きますが、生徒達には疑問点があれば何時でも校長室に来るように伝えています。心強いのは、素直な生徒が多いため短期間で大きく成長するということです。
  また、これらの入試については、論文と面接というところが多いようですが、受験に際しては、基礎学力をつけることをおろそかにせず、取り組んで欲しいと思っています。
  なお、本校では「全員がセンターを」を合言葉に、早い段階で大学合格が決まった生徒についても、高校における学力の集大成としてセンター試験を受験することにしています。

2008年08月21日

それぞれの夏休みを終えて

  長い夏休みを終えて、生徒達が元気に登校してきました。本日は生憎小雨がぱらつく天気であったため校内放送で次のような授業始めのの話をしました。
  〝今日からいよいよ学校が始まります。大きな事故もなく全員が元気な姿で登校してくれて、本当に嬉しい気持ちで一杯です。夏休みに入る前に、高校3年生の時の夏休みは1回しかないし、高校2年生・1年生、また中学3年生・2年生・1年生の夏休みも一回しかない。それぞれ自分なりの目標をしっかりと持って充実した夏休みを送って欲しい、ということをお願いしました。皆さんの夏休みは充実していましたか?思い切り勉強した人、全力でクラブ活動に取り組んだ人、海外研修に参加した人、家族で旅行をした人、等それぞれの夏休みを過ごされたのではないかと思います。皆さんの夏休みは充実していましたか?一日が充実しておれば充実した一週間に、一週間が充実しておれば素晴らしい一ヵ月、一年に繋がります。人間の一生は一回きりで後戻りはできません。間もなく文化祭も始まりますが、どうか感動溢れる中学生活、高校生活を送ってください。〟
  生徒達は一ヶ月前に比べると確実に成長しているのではないかと思います。今日から月末までは、午前中の短縮授業です。また、最大の学校行事の一つである文化祭も近づいてきていますし、高校3年生については、間もなく推薦やAO入試が始まります。生徒達がそれぞれの目標に向かって新たな気持で力強くスタートして欲しいものです。

2008年08月20日

和泉青年会議所での講演を終えて

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  8月20日(水)、和泉青年会議所のメンバーを対象に『これからのJC活動に期待・求められること~高い志を持つ~』というテーマで講演を行ないました。JCとの関係は、昨年の7月に近畿地区 大阪ブロック協議会主催の“『日本の力教育』実践検討委員会 北地域セミナー”に出席したことに始まります。
  その時の大阪ブロック協議会では≪子ども達の明るく夢ある将来のために≫というスローガンのもと教育問題に取り組まれており、テーマは『OMOIYARI あふれる心 〝日本の教育は我々が変える〟 我々JCから変わる』ということでした。
  私は講演の中で、最初に世界や日本の現状と今後の動き、次いで松下幸之助氏のエピソードを紹介し、社会で活躍するためには高い志が何よりも大切であること、教育をめぐる現状の課題について話をしました。そして、最後に『脚下照顧』『着眼大局、着手小局』という言葉があるが、まず一人ひとりが自分の足元を見つめ、身近なことから行動を起こしていくことが大切であること等を訴えました。
  一人ひとりの行動は点であっても、何人かが集まると線になり、面になります。日々の仕事を持ちながら、それぞれの地域において活動されているJCのメンバーの皆さんが中心になって大きなうねりを起こして欲しいと願っています。

2008年08月19日

青年会議所の活動について

  明日、和泉青年会議所のメンバーの皆さんに講演することになっていますが、この青年会議所について紹介したいと思います。
  1949年(昭和24年)、日本はこれからどうなるのかという混沌とした戦後の時代背景の中、全国各地で志ある若者達が立ち上がり、青年会議所の活動が始まりました。その後、1951年に全国の青年会議所が集まり、日本青年会議所が創設されました。そして、現在は日本全国47ブロック711ヶ所に設置されており、それぞれが『個人の修練』『社会への奉仕』『世界との友情』の3信条のもと、地域との協働により「よりよい社会づくり」を目指して活動されています。なお加入資格は満20歳から満40歳までとなっており、文字通り将来の日本を背負って立つ若者の集まりです。
  〝二度とない人生だから志を高く持とう。愛するわがまちだから夢を形に変えていこう。二つとない国だから日本の未来をこの手で創ろう。かけがえのない地球だからすべてのものと共に生きよう。時代を切り拓くのは我々青年の使命である〟という言葉には心打たれるものがあります。
  本校の校是の第一も〝高志〟であり、青年会議所の理念とは一脈相通ずるものがあります。今、日本には約4万人の青年会議所の会員がいますが、彼らが地域のリーダーとしてこれからも活躍し、地域社会の活性化に大いに貢献してくれることを期待しています。

2008年08月18日

必ずやりあげる

  夏休みも本日と明日の2日を残すのみになりました。休みに入る前には、それぞれ自分なりの計画を立てていたと思いますが、この時点での進捗状況を見ると大きな差異が生じてきているのではないかと思います。
  人間にはしっかりと計画を立てて着実に推進するタイプ、大まかな計画に基づいて先行するタイプ、追い込むタイプとさまざまなタイプがあります。計画通りにやるということがベストですが、私の経験から言っても、常に自分の思い通り順調に物事が進むということはあまりありません。計画達成のためには必ず無理をしなければならないことが出てきます。この時に大切なことは必ずやりあげるという強い思いを持ち、行動することです。このような計画を必達することの積み重ねが将来社会で役立つ力になると思います。
  夏休みの最後の頑張りを期待したいものです。

2008年08月17日

たゆまぬ努力の大切さ

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  北京のオリンピックも折り返し点を過ぎ残り少なくなってきました。カナダではほとんどオリンピックに関するニュースを見ることができませんでしたが、この休みには日本選手の出場する競技を中心に多くの時間をオリンピックのテレビ観戦に費やしました。
  一人ひとりの選手はこの4年間、たゆまぬ努力を続けそれぞれの国の代表となり、今回のオリンピックに参加してきています。メダルを獲得した選手達は例外なく感激の涙を流していますが、それだけ血の滲むような練習を積み重ねてきたということでしょう。しかし、すべての人に栄冠が輝くわけではなく、大半の選手が悔しい思いをしているはずです。金メダル候補と言われていた人も実力を出し切れずに敗退していったケースも散見されます。はっきりしているのは心技体のすべてを鍛えこまなければ五輪という大舞台で実力を発揮することが出来ないということです。これはスポーツだけでなく、すべての分野について共通することではないでしょうか。
  「努力しても成功するかどうかはわからない。だが、努力しなければ絶対に成功することはない。」という言葉がありますが、自分の目標に向かって日々たゆまぬ努力を続けていくことが大切であると感じています。

2008年08月16日

お盆の由来

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  8月13日から16日まではお盆休みということで、帰省したり旅行に出かける人も多いのではないかと思います。
  しかし、昔から〝盆と正月〟という言葉が聞かれるほど日本人にとっては大切な行事なのです。盆は正式には仏教における盂蘭盆会の略ですが、盂蘭盆というのはサンスクリット語のウランバナを音写したものです。このウランバナというのはもともと逆さづりという意味で、地獄の苦しみを受けている人々を供養することの功徳によって救うという行事ですが、これとわが国固有の先祖を崇拝するという心とが融合して、日本のお盆の行事が生まれました。
  一般的には13日の夕方には野外で迎え火をたき、先祖や亡くなった人を迎え、16日の夕方には送り火をたいてお送りすることになっています。
お盆には日本各地で色々な催しが行なわれますが、有名なもののひとつに京都の大文字焼きがあります。正式には「京都五山送り火」と言われ、お盆に行なわれる送り火と同じ意味です。
  お盆は明日までですが、家族全員で是非ご先祖を尊ぶという気持ちを持っていただきたいものです。

2008年08月15日

目の当たりにした地球の温暖化

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  今回の海外研修において、私自身は生徒の引率ということ以外に環境についてのテーマを持ってカナダに赴きました。カナダにおける環境対応についてはそう目新しいものはないように感じましたが、驚いたことが一つあります。
  それはオタワからバンクーバーに向かう機内から見たカナディアン・ロッキーの情景です。前回カナダに行ったのは丁度10年前であり、時期も今回と同じ8月でした。その時に眼下に見たカナディアン・ロッキーは3000メートル級の山々が連なり、真っ白な氷河に覆われていました。まさに世界遺産にふさわしい素晴らしい景観であったのを鮮明に記憶しています。ところが、今回は氷原や雪が消滅し山肌がむき出しになっているところが増えてきており、以前とは全く異なる様相を呈していました。
  今、地球の温暖化によって北極、南極、グリーンランド、ヒマラヤ、アルプス等の氷が溶け出しているという報告がありますが、ロッキーも例外ではないということを確信しました。
  現在、本校では環境教育に注力していますが、環境問題については人任せにするのではなく、自分自身のこととして身近な行動に結び付けていかなければならないと感じました。

2008年08月14日

カナダ研修旅行後記

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今回は大半がプリンス・エドワード島のシャーロットタウンでの滞在であったため、カナダの深いところまで知ることはできなかったが、以下感じた点を述べてみたい。
  ①国土が日本の27倍、人口は4分の1ということもあり、とにかくゆったりとしている。
  ②歴史的にはまだ浅く若い国であり、元首はエリザベス2世女王になっているが、イギリスの影響は  あまり感じられない。
  ③移民の国といわれるようにさまざまな民族が混在している。イギリス、フランス系が主体であるが、  4人に1人はアジア系他の民族である。
  ④生活必需品(食料等)や居住費も水道・給湯・電気代込みで安いため、全般的に見て、生活しやす  い印象である。
  ⑤物品購入等については6%の連邦消費税と州税(州毎に異なる)が課されることになっており、トー  タルでは15%前後である。
  ⑥交通や通信等のインフラはアメリカとほぼ共通になっているが、カナダとしての独自性を発揮しよう  としている。
  ⑦多くの分野において未開拓の部分も多く、今後大いなる潜在能力を感じる。
  ⑧概ね日本人に対しても好意的であり、治安もアメリカ等に比べると悪くない。
  ⑨電力については豊富な水量を利用した水力発電が主体であるが、太陽光や風力の利用も進みつ  つある。また、ゴミの分別等についての取り組みも進みつつあり、環境を大切にしていこうという考え  方が浸透している。
  ⑩宗教は約8割がクリスチャンであり、日曜日には教会に礼拝に訪れる家族の姿が数多く見られる。
  全般的に見て、多くの世界の中でも暮らしやすい国であるのは間違いないように感じた。生徒達の中にも将来再びカナダに行く人が出てくるのではないかと思っている。

2008年08月13日

時差との戦い

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  カナダには6つの時間帯に分かれており、最東端のニューファンドランド標準時間と最西端の太平洋標準時間との時差は4時間30分あります。そして東から西に行くに従って1時間ずつ遅くなり、日本との時差は大きくなります。
  最終の宿泊地のハリファックスと日本とは時差が12時間ということになるため、丁度午前と午後が逆になります。本日は午前3時30分(日本時間午後3時30分)に起床し、4時50分に空港に向けてスタート、搭乗手続きを終えた後、一路オタワに向けて出発し、マイナス1時間の時差で7時45分に到着、再び9時5分初の飛行機でバンクーバーに向かいました。実質のフライトは6時間ですが、オタワとバンクーバーは時差が3時間あるため、現地時間午前11時(日本時間午前3時)に到着。国際便に乗り継ぎ午後1時半(日本時間午前5時半)過ぎに日本に向けて出発しました。そして、11時間飛行機に乗って、午後4時半に関西国最新空港に到着しました。
今日一日を振り返ると実に起床してからまる1日以上移動に費やしたことになります。多くの生徒達にとってもこのような目まぐるしく変わる時差を乗り越える経験は初めてだろうと思います。本日はまさに時差との戦いの1日でした。
  空港には多くの家族の皆さんが出迎えておられ、早速あちこちで話しの輪が広がっていました。生徒達は今回の研修を通じて色々な経験をしたことでしょう。今日は久しぶりに家族との団欒の場が持たれていることだと思います。ゆっくりと休養して明日から新たな気持でスタートして欲しいと願っています。

2008年08月12日

カナダの歴史と首都オタワ

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  カナダへの植民は1534年フランス人Jカルティエがセントローレンス湾に入り、セントローレンス川の沿岸をフランスの植民地ニューフランスにしたのに始まる。しかし、ヨーロッパにおけるイギリスとフランスの7年戦争後のパリ条約(1763年)により、北アメリカ大陸のフランス植民地がイギリスに割譲され、以後はイギリスの植民地となった。その後、1864年イギリスの4植民地が連邦を結成してカナダとなり、1867年イギリス連邦カナダ自治領となった。更に1931年外交自治権を獲得して完全な独立国となり、1982年新憲法を公布し、国権の最高機関を国会とし、イギリス君主は象徴とされた。国民の民族構成は、イギリス系が3分の1であり、ケベック州では文化の独自性を主張し、分離独立を求める運動が続いている。
  現在、首都はオタワである。どうして最大の都市であるトロントやモントリオールやバンクーバーでないのかは、カナダの歴史を紐解かなければならない。
オタワは1857年(昭和32年)に首都に選ばれたが、位置的にイギリス圏とフランス圏の境界にある。
〝カナダ〟という名前は英国領植民地の一つ「カナダ植民地」につけられたものであり、現在のオンタリオ州とケベック州がほぼこれにあたる。ケベック州は元ヌーベル・フランス(仏領北米植民地)であり、今でも英国系の諸州とは一線を画している。1776年のアメリカ合衆国の独立後、アメリカの政策を嫌ったロイヤリスト(親英派)約1万人が大量に流入し、フランス風の習慣を踏襲せず、独自のイギリス風コミュニケーションを形成し、1791年オタワ州を挟んで、アッパーカナダ(英系)とロウアーカナダ(仏系)に分割されることになった。当時オタワ周辺にはまだ先住民であるインディアンが居住していたが、1812年の英米戦争がきっかけで米国に対抗するため、英仏両カナダは心の底に確執を抱きながら団結することになり、これがカナダ誕生の大きな要因となった。この戦争の結果、英国側はアメリカに近すぎるセントローレンス川にかわる水路を築くべく、オタワを貫く〝リドー運河〟の建設に着手し、その後1841年にはアッパーロウアーの両カナダが併合された。
  これによりカナダ植民地が樹立され、首都はモントリオール、ケベック、トロントとめまぐるしくかえられた。この底流にあったのは、英・仏両カナダの反目であった。この悩みを一気に解決したのが「気まぐれ女王」と呼ばれたビクトリア女王であり、アメリカから離れているという戦略的な配慮もあって、アッパーとロウアーの接点にあたるオタワに植民地政府の首都を置いたのである。その後1867年イギリスから自治権を与えられ、カナダ連邦が成立し、同時にオタワも一国の首都となった。その後1900年オタワは大火に見舞われ、市のほとんどが消滅したが、これが現在の理想的な町づくりのきっかけになったのである。

2008年08月11日

目を見はる成長ぶり

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 時間が経過するにつれ生徒達も次第にシャーロットタウンでの生活にも慣れてきたようである。
 最初は時差の関係で体の不調を訴えたり、緊張のため大きな声も出せなかったり生徒達同士で集まって話し合ったりしているケースが多かったようだが、カナダの人達とも積極的に会話をかわせるようになってきた。
 授業は生徒達が興味を持てるように様々な実習が組み込まれており、普段の日本での授業とは異なり、参画型になっている。
 また、買物当に行っても身振り手ぶりを交えながら品物を買うことができるようになってきている。何よりも1日のスタートである朝に元気な明るい笑顔が揃っているのが素晴らしい。
 いずれにしても、ここ数日間における生徒達の成長ぶりは目を見張るものがある。わずか8日間という短期の研修だが生徒たちがどれ位多くのものを吸収してくれるか楽しみである。

2008年08月10日

『兵庫私学展』終わる

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 8日から神戸大丸特設会場で開催されていた「私学展」が、3日間の来場者1万人超の参加者で終わり、改めて私学進学熱を感じる3日間でした。最終日の今日も終了時間の18時になっても、ブース来訪者が学校によっては終わらない盛況ぶりでした。
 今年度も開場と同時に生徒や保護者、塾・学校関係の皆さんが入場され、それぞれ希望する学校の担当者から説明を受けたり、色々な学校のパンフレットの収集にあたる例年の光景が見られました。
 本校のブースには3日間を通じて昨年度よりも多い来訪者があり、担当教員が開始時間から終了時間までほとんど切れ目なく対応しなければならないという状況で、現在進められている本校の中高改革の注目度の高さを感じる3日間となりました。
 特に、中学受験希望の保護者・生徒にとっては「一貫選抜コース」・「発展コース」の仕組みや難易度・合格基準など、高校受験希望者の保護者・生徒にとっては「選抜特進」・「特進Ⅱ」・「特進Ⅰ」の難易度・合格基準・そのコースの進学展望・「選抜特進」の就学補助などへの質問が多かったように思います。
 兵庫私学の特徴は、大阪の私学とは異なり「私学はひとつ」の連帯感の理念のもとで、各校独自の特色ある教育活動が推進されていますが、私たち雲雀丘学園も素直に他校の良いところは学び、自分たちの学校の教育活動にどのようなかたちで生かすことが出来るかを考えていく、柔軟かつ切磋琢磨する姿勢が必要だと日頃から考えております。そのことが兵庫県ひいては日本の教育レベルの向上に繋がると信じております。
 そして、雲雀丘学園の生徒・卒業生としての矜持を持ち、社会に船出していくことを支援したいと考えます。
                                            (玉井記)

2008年08月09日

雲雀丘における「特色ある教育」について

2010年に創立60周年を迎える本学園には創立以来あるいは数十年に亘り続けられてきている「特色ある教育」があります。“授業第一主義”を掲げる本学園にあって、そのいくつかを紹介したいと思います。
 国語科では、古典の学習が始まる中学2年において、「百人一首大会」を開催し、和歌の暗記と競技カルタを体験させる取り組みがあります。また、知識・教養・資格などあらゆる面で漢字(最近とみに国語学者の側から漢字教育の重要性が叫ばれていますが)を重要な文化ととらえ、中学1年から高校3年生まで学校あげての行事として「漢字テスト」を創立以来続けています。また、これに連動して「漢字検定」組織が全国組織として立ち上げられてからは全学年生が検定受験をすることになっています。
 英語科においても、国語科と同じく本学園創立後まもなくより、「英単語・熟語テスト」を中学1年生から高校3年生まで年2回実施します。これも英語短文・英語構文の重要性以上に言語学的に「単語」のもつ文化的・歴史的な重要度から考案された取り組みです。そして、近年は「英語検定」を受検します。中学卒業時には3級、高校卒業時には2級を取得することを目標に、中学3年生・高校2年生は全員が検定を受検します。この科の今年度で第37回を迎える「中学英語暗唱大会」開催も特色ある教育としてあげることができるでしょう。
 また、各種「検定」が教育界に浸透している現在、上記2教科の取り組みだけではなく、本学園では生徒の教科目標達成の一助として積極的に「検定」受検にも取り組んでいます。「数学検定」(平成19年 日本数学検定協会より数検グランプリ金賞を授与されました)・「歴史検定」(年2回 本学園を準会場として実施)等などです。
 体育科においては創立以来中学・高校男子生徒に「柔道・剣道」のどちらかを選択させて、3年間・6年間を通じて日本の伝統的格技を学び心身の鍛錬(冬期の1月には寒稽古が実施されます)に励みます。これも文部科学省が発表した新しい「学習指導要領」での「格技」の重視から考えると本校教育の正統性が見て取れると考えます。
 中学家庭科では、1年間かけて「浴衣」の制作に取り組みます。この伝統は、創立以来50余年続いています。家庭に持ち帰らず、最後まで生徒の手で完成させます。完成した「浴衣」を家庭に持ち帰ると親子3代にわたる、おばあちゃん、おじいちゃん、お母さん、お父さんからお褒めの言葉・喜びの言葉をたくさん頂きます。
 以上、本校教育の「特色ある教育」をほんの一例ではありますが紹介しました。
 ぜひとも、一度本学園を訪れていただき、“学園の香”を味わっていただきたいと思います。                                         (玉井記)

2008年08月08日

赤毛のアンの舞台

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  プリンス・エドワード島で生まれたルーシー・モード・モンゴメリが自分自身の少女時代と重ね合わせて書き上げた『赤毛のアンAnne of Green Gables』。
1908年の初版発売以来、30カ国以上で翻訳され、世界中で親しまれるようになってきており、今年は記念すべき発刊100周年にあたっている。そのためプリンス・エドワード・アイランド州としても記念切手や記念コインを発行する等の企画がなされている。
モンゴメリは海沿いの農業を中心としたキャベンディッシュで幼年期、少女時代、青春時代、結婚後と島を離れてトロントに移るまで実に30年以上もこの島で過ごしていた。従って、アンが暮らす村のモデルになったキャベンディッシュ周辺には物語で描写された場所が何ヶ所も存在している。例えば、アンが孤児院から引き取られ、少女時代をすごした赤毛のアンのモデルとなった『グリーン・ゲイブルズ』には、モンゴメリは度々訪れていたし、元はモンゴメリのおばさんの家で現在もキャンベル家の人たちが暮らしているグリーン・ゲイブルズ博物館は、彼女の大のお気に入りで祖母の死後3ヵ月はここで過ごし、1911年には一階の客間でユーアン・マクドナルド牧師と結婚式をあげたことでも知られている。また、母が結核で亡くなり、祖父母に引き取られるまでの1年9ヵ月を過ごしたモンゴメリの生家やお墓もある。
  このように現存している実際の建物を見ながら、赤毛のアンの物語の足跡を辿っていくのも味わいがあり、生徒たちも次第に「赤毛のアン」の世界に引き込まれていくようである。

2008年08月07日

シャーロット・タウンの概要

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  今回生徒達がホームステイと語学研修を行なうシャーロット・タウンはプリンス・エドワード・アイランド州の州都で島内の拠点となっている。
  海抜49メートルの周囲を海でかっ込まれたこの町は、人口わずか3万5千人強であるが、近年アジア系の住民の数が増加してきているようだ。この町の歴史を紐解くとイギリスがフランスに代わって覇権を握った1763年に、時のイギリス国王ジョージ3世の王妃シャーロットに因んで名付けられたが、永年の確執は続いたようである。その後1864年にイギリス系の植民地から代表者が集まり、カナダ連邦成立に向けた討議、いわゆる最初の建国会議が開かれた『カナダ連邦発祥の地』としても有名である。町を散策すると、ブロビンズ・ハウスやピークス・ワーク等当時を偲ぶ建物が今でも数多く残っている。
  一方新しく建設されたグリーンハウスは、雨水の利用やソーラー発電が取り入れられている。このように環境に配慮された新旧の建物が見事に調和し、美しい街並みを形作っている。生徒達のホームステイ先の何軒かを車で見学したが、概して敷地が広く緑の芝生に囲まれている。
  この町にはバスなどの公共交通機関がないためにホストファミリーが学校の送り迎えをしてくれることになっている。この町の特徴を一口で言うと〝時間がゆったりと流れる心温まる優しい小さな町〟ということができるようだ。

2008年08月06日

プリンス・エドワード島に到着

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  トロントから空路で約2時間、いよいよこの研修旅行の中心となるホームステイと語学研修を行なうプリンス・エドワード島に到着しました。セント・ローレンス湾に浮かぶこの島は、先住民族である「ミクマク族」から「アベグウェイト(波の上の揺りかご)」と呼ばれていたようである。
  歴史を紐解くと、1543年にフランスの探検家であるジャック・カルティエによって発見され、アカディアの一部としてのフランス領時代には「サンジャン島」と呼ばれていたが、その後七年戦争でイギリスが、この島を占領し「セント・ジョン島」と呼ばれていた。この時代にはアカディア人の大規模追放がなされるなどの民族間対立もあったようである。更に1798年、ジョージ3世の第4王子で当時ハリファックスに駐在していたケント公エドワードに因んで『プリンス・エドワード島』と呼ばれるようになった。
  このプリンス・エドワード・アイランド州は、面積が5660平方キロメートル、人口は約14万人でカナダの州の中では最小である。主要な産業はロブスター漁とジャガイモの生産、それに赤毛のアンの発祥の地としての観光業である。住民は都会のような忙しい時間を持たず、ゆったりと過ごしているようである。
空港から約20分で生徒達が語学研修を行う教室に着く。ピザの昼食を取った後オリエンテーションが開催されるが、生徒達は明日までの観光気分はすっかり影をひそめ緊張気分である。4時半頃ホストファミリーが次々と集合、対面式の後それぞれの家に向かった。


この島で生徒達はカナダの自然を満喫しつつ、これから素晴らしい経験をすることになると思う。

2008年08月05日

壮大なナイアガラ・フォールズ

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  世界最大の水量を誇るナイアガラの滝は南米のイグアス、アフリカのビクトリアと並ぶ世界3大瀑布の一つであり、壮大さは驚くばかりである。日本では那智の滝が有名であるが、ナイアガラ滝と比べるととても滝と呼べるものではない。ナイアガラの語源はネイティブ・カナディアンが呼んでいたニアガル(雷轟く水)である。
  ナイアガラの滝が誕生したのは1万2千年前と言われている。氷河が溶けて多くの大地が海に沈んだが、その際一部が大きな湖の形で残り、ここに大量のロッキー山脈の雪解け水が3000kmの長い旅の後流れ込み、スペリオル湖・ミシガン湖・ヒューロン湖を経て、オンタリオ湖に注ぎ込み五大湖が形成されるに至る。
  ところが、エリー湖とオンタリオ湖の間には約100mの高低差があるため、水が流れ落ちるナイアガラ大瀑布となったとのことである。大量の水のため、滝は平均して年間3mずつ後退していたらしいが、今は人工的に水量を調整することにより、3cmの後退にとどまっている。もし水量調整が行われなかったなら、アメリカ滝は消滅してしまうだろうとも言われている。また、この100mの高低差のため、ナイアガラの急斜面においては湖から湿った温暖な空気に包まれ、逆に西からの寒風は丁度上を吹き抜ける形になるため、果物の生産にとってこの上ない好条件となっている。このため、洋梨・葡萄・ブルーベリー・桃等豊富な果物の産地となっており、特に葡萄の生産量は国内の85%を占めるに至っている。
  ここでの最大のイベントは〝霧の乙女号〟「Maid of the Mist」による船上からの滝壺体験である。滝の真下まで近づくため、水しぶきが凄いため、頭の上から青いレインコートをスッポリとかぶり出発する。以前はこの青いレインコートではなく、何人もが代わる代わる着ていたため、あまりにも汗の匂いが臭くて不浄であったため、持ち帰っても良いという事にして、薄手のコートに変えたそうだ。また持ち帰らない人については回収箱が設けられており、すべてリサイクルされている。準備が完了し、いよいよ霧の乙女号は滝に向かって出発する。まず正面のアメリカ滝の前を通り過ぎる。物凄い水しぶきである。アメリカ滝よりもカナダ滝の方が滝の真下に入ることになる。滝にどんどん近づくにつれて、水しぶきは激しくなってくる。しぶき(飛沫)といった生やさしいものではなく、極端な言い方をすれば、頭の上からバケツで水をぶっ掛けられているという表現があてはまる。船は落ちてくる水の勢いで左右に大きく揺れ、船内は大騒ぎである。このような体験は他では得られないだろう。

2008年08月04日

最初の訪問地トロント

  バンクーバーから国内線でトロントに到着した。カナダには10の自治州があるが、オンタリオ州の州都であり、人口450万人を有するカナダ最大の都市がトロントである。トロントの歴史は白人が最初にこの地に到着した1615年まで遡る。フランス人サミュエル・ド・シャンプランの探検隊が最初とのことである。〝トロント〟とはインディアンの言葉で「人が会う場所」を意味しており、街の南には五大湖の一つであるオンタリオ湖があり、対岸はアメリカのニューヨーク州である。
  1759年までトロントはフランス軍が砦を構える要塞であったが、インディアンが暮らしている土地であったため、フランス軍はインディアンと交渉し、170ポンドと140樽のメリケン粉と少々の斧で、この地を手に入れた。その後1759年、英仏間の7年戦争の結果、フランスはアメリカ大陸の領土をすべてイギリスに明け渡し、これに伴いトロントも英領の一部になった。
トロントに本格的な町づくりの計画がもたらされたのは1793年である。当時カナダ総督のドーチェスター卿はアッパーカナダ(現在のオンタリオ州)の首都ナイアガラ・オン・ザ・レイクが米国に近すぎるため、オンタリオ湖岸に新都の建設を考え、英国王ジョージⅢの第2子フレデリック・ヨーク公の名にちなみヨークヴィルと命名した。その後、1812年の米英戦争でヨークヴィルは全焼。それからの本格的な復興はイギリスからの新移民の到着を待つことになり、1830年代半ばにもとの名前トロントに改称された。
  19世紀の終わりにトロントはカナダの商工業の中心として大きく発展し、1830年代にはわずか1万人だった人口も1901年には20万人を数えるまでになり、カナダ政府の積極的な移民政策により1941年以降世界中から移民が集まり始めた。今では移民の数は人口のほぼ半数を占めている。町を歩いていても肌の色・目の色・髪の色、背丈等全く異なる人達が混在しており、人間のるつぼという感が強い。最近では中華系移民が激増してきており、国際色豊かな世界屈指の多民族都市に変貌してきているようだ。

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2008年08月03日

カナダの概要~広い国土

  世界には190を超える国がありますが、それぞれの国の概要については知らないことが多いようです。私自身も前回カナダに行ったのは10年前、それも滞在期間はわずか11日間という事だったのであまり参考にならないように思います。それで、今回の訪問にあたってカナダの概要について調べてみました。
  カナダはイギリス連邦を構成する1自治国であり、10の自治州と3つの准州より成り立っている。国土は997.1平方キロメーターで世界第2位であり、日本の実に27倍もあり、アラスカ(アメリカ領)を除く北アメリカ大陸の北半を占めている。しかし、ほとんどが人の住めない土地であり、耕地や居住地は南のアメリカとの国境沿いや五大湖沿岸のベルト地帯の11%に集中している。人口は3200万人であり、日本の約4分の1であるため、日本人にとってはすべてのものが広くゆったりしているように感じられる。
南はエリー湖中のペレー島の北緯41度41分、北はコロンビア岬の北緯83度6分であり、国土の大部分は山地や岩石、極地となっており、開発された地域は国土の3分の1以下である。
  気候的にはかなり厳しく、1月の平均気温が零度以上となるのは、バンクーバー付近のみである。中部から北部にかけては広大な針葉樹林やツンドラ氷河地帯が広がっている。地形は西部太平洋のロッキー山系と東部大西洋のアパラチア山系の両者にはさまれた広大な地域で耕地・平原・低地の3地域に大別される。
  有名な五大湖にしても、日本の面積の80%がすっぽりと入ってしまう大きさであり、オンタリオ湖ひとつとってみても、琵琶湖の実に30倍近い大きさであるから湖というよりは大海という表現の方がぴったりするようである。

2008年08月02日

カナダ研修のスタートにあたって

  本日(8月2日)から中学2年生19名と中学3年生12名、計31名が関西國際新空港から12日間にわたる「カナダ東部夏季研修旅行」に出発することになりました。この研修には中学2年生の英語科の教員と共に私も生徒達の引率のため参加します。
  このカナダ研修は、できるだけ早い時期に海外での生活を体験させ、幅広い視野を身につけさせることを狙いとして、平成14年8月からスタートし、毎年夏休みを利用して実施しています。途中でトロントでのSARS発症により一年間中止したため、本年度は6回目ということになります。これまで100名を超える生徒達がこの研修に参加していますが、多民族国家であるカナダの社会生活、歴史、文化、自然に接するという体験を通じて生徒達は大いに触発されてきたようです。研修終了後も自分なりの目標を持って積極的に学校での学業や部活動に取り組み、良きリーダーとして成長しているケースが数多く見られるようです。
  研修の中心は、赤毛のアンで有名なプリンス・エドワード島のシャーロットタウンにおける7泊8日のホームステイと語学研修です。特に今年はアンの生誕100周年という記念すべき年にあたっており、例年以上に思いで深い研修になると思っています。短い期間ですが、この研修を通じて生徒達が外から日本を見つめることにより、自らの意識や行動を変えていって欲しいと思っています。
  なお、カナダにおける活動内容もできる限りお知らせしたいと考えていますが、タイムリーに情報をお届けすることができるか疑問です。このため出発前にいくつかの校長通信は書き上げましたが、この間の日々の出来事については教頭先生にお願いすることにしていますので、宜しくお願いします。

2008年08月01日

ビジョン会議の開催

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  8月1日(金)8時過ぎから16時30分まで途中昼食休憩1時間を除き、実質7時間にわたり経営検討会議を開催しました。個人的には明日からカナダの研修旅行に参加するため本日はその準備に当てたかったのですが、それぞれ補習や合宿の予定が入っており、日程を調整すると本日しかないということになりました。
  本校では毎週1時間、校長、教頭、進路部長、教務部長、中学・高校の学年主任代表によるビジョン会議を開催していますが、正直なところ将来の課題を語り合うというより目先の課題の解決に終始しているというのが現状です。これでは学校を大きく変えることはできません。従って、夏期休業期間を利用して中期的な課題について話し合い、方向付けを行なうということにしました。本日はこのビジョン会議のメンバーと公募による先生を加え8名で様々な角度から検討を行ないましたが、議論のための議論にならないように事前に各人があらかじめ課題を整理し、具体的な解決策を持ち寄ることにしました。
  現在、少子化の進展により教育を巡る環境は激変しています。生徒や保護者に対してより良い教育を提供してゆくためには、前年踏襲型の教育活動では不十分であり、常に反省を加えつつ新たなことをとり入れていかなければなりません。目下本校では昨年度の高校に続き本年度から中学の改革を実施していますが、まだまだ取り組まなければならない課題は山積しています。
  本日の会議では“3年後のあるべき姿”についてお互いの意見を述べ合い、現状とのギャップを明らかにし、それまでにやるべき具体策のスケジュール化をはかりました。整理してみると、3年という期間は一見長いようですが、相当スピードを上げていかなければならないことが明らかになりました。
これから今回の検討内容を具現化するため教職員の意見を集めながら、細部についての詰めを行なっていきたいと考えています。