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2009年12月31日

大晦日にあたって~年越しそばと除夜の鐘~

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  大晦日を迎え、皆さんはそれぞれの思いでこの一年を振り返っておられることと思います。大晦日には暮れゆく年を惜しみ、新たな気持で新年を迎えるということから、色々な行事が行なわれています。晦日(みそか)というのはもともと「三十日」と書き、月の三十番目の日ということでしたが、転じて月の最終日を指すことになり、十二月は年の最後ということもあって大晦日と呼ばれるようになったのです。
  また、大晦日の夜を「除夜」と言いますが、これは一年の日ごよみを除くという意味なのです。 そして、今年一年の自分の行いを改めて振り返り、至らなさや愚かさをしみじみ反省し、洗い流すということで除夜の鐘をつくことになっています。鐘をつく回数は108回ですが、これは人間の煩悩の数です。私も以前は除夜の鐘をついた後、初詣をするというのが通例でしたが、最近は年越し蕎麦(そば)を食べて、のんびり過ごすことが多くなりました。 この年越しそばを食べるという風習は江戸時代中期から始まったようですが、これにはさまざまな理由があるようです。〝蕎麦は細く長く伸びるので、寿命や身代、家運が長く伸びる〟、〝金細工師が一年の作業を終える時に、蕎麦粉を丸めて散らかった金粉を寄せ集めていたことからお金が集まる〟〝蕎麦は切れやすいので、旧年の苦労や災厄を切り捨てる〟〝蕎麦は風雨にあたっても、翌日陽が射すと起き上がるということから捲土重来を期す〟等といった意味が込められているようです。

  今年は歴史的な政権交代、新型インフルエンザの流行、エコカー・太陽光発電の普及、厳しい雇用情勢と国内需要の低迷、東アジアの経済発展等の大きな動きがありました。多くの課題をかかえたまま新しい年を迎えることになりますが、明るく前向きに取り組んでいきたいものです。

2009年12月30日

日本の文化~鏡餅と門松~

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  新年を迎えるにあたって鏡餅の飾り付けをされた家庭も多いと思います。そもそも鏡餅は神様にお供えしてからいただく尊い餅であり、神様と人を仲介するという意味を持っています。では、なぜ重ねた餅を鏡餅と呼ぶようになったのでしょうか。それには二つの理由があります。 一つは丸い餅の形が昔の銅鏡に似ているからです。古来より、鏡は神様が宿るところとされていたのです。二つは鏡餅の「鏡」は「鑑みる(かんがみる)」。つまり良い手本や規範に照らして考えるという意味の言葉にあやかり、「かんがみもち」とよぶ音が次第に変化して鏡餅になったと言われています。 更に、鏡餅の丸い形は家庭円満を表し、重ねた姿には一年をめでたく重ねるという意味もあるそうです。いずれにせよ祈りと一年無事であったことを感謝する気持ちを込めて飾る行為は日本人が永年引き継いできた固有の文化なのです。また、鏡餅の上に載せる橙(だいだい)は木から落ちずに大きく実が育つことにあやかって、代々家が大きく栄えるようにという願いが込められており、鏡餅の下に敷く裏白(うらじろ=シダ)は古い葉と共に新しい葉が次第に伸びてくるので、久しく栄えわたるという縁起をかつぐものです。
  また、注連縄と共に玄関先に飾る門松は古来より松、椿、榊などの常緑樹には天から神が降臨して宿るという神道の精神に基づいています。つまり松、竹などを門口に立てることにより、それに神を降臨させて家の入り口を清め、新年を迎えるという意味なのです。 門松は平安時代に中国から伝わり、現在の様式が決まったのは室町時代と言われています。また竹の先端が斜めにカットしてある「そぎ」と呼ばれるものがありますが、この風習は徳川家康が始めたようです。家康は戦上手であったと伝えられていますが、生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)では武田信玄の騎馬軍団に完膚なきまでに叩きのめされました。この戦いの後、信玄に対して次は斬るぞという念を込めたのがこのそぎの始まりであると言われています。
  何気なく行なっているお正月の準備にもそれぞれ理由があり興味深く感じています。

2009年12月29日

日本の文化~注連縄の由来~

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  12月29日(火)、昨日で学校の勤務も終了し、年末年始休暇に入りました。今日は家の掃除をした後近くのスーパーに出かけました。昨今はお正月のための特別の準備をしない家庭も増えてきているようですが、私の家では例年一般的なお正月を過ごすことにしています。
  わが国では年末から年始にかけては煤払いを行ない、注連縄(しめなわ)を張り、年越しそばを食べ、鏡餅を飾り、お正月にはお屠蘇でお祝いし、雑煮や御節料理を食べる風習があります。これらの一つ一つにはそれなりの理由がありますが、このことを知らない人も多いようなので、順次紹介していきたいと思います。
  まず、玄関先に注連縄(しめなわ)を張るのは、家の中に悪霊を入れず穢れをぬぐい去り無病息災・家内安全を祈るものです。神社などで見られるように注連縄は神聖な場所に渡し、内(神域)と外(現実社会)を隔てて、不浄に触れさせないために用いられるものです。また、注連縄は有名な夫婦岩に代表されるように海の岩礁の内、奇岩とされるものなどにも張られていますし、大相撲の横綱が土俵入りの際に締めているのも注連縄です。
  参考までに今でも「縄ばりを侵す」という言葉が残っていますが、これは本来一本の縄が境界を示しており、占有・立ち入り禁止のしるしを表すことからきているのです。
  なお、門松や注連縄を飾るのは28日までか30日が良いとされています。日本人は四と九をいう数字を嫌いますが、29日は「二重苦」、9の末日なので「苦待つ」に通じる、また31日は「一日飾り」と言って神をおろそかにするという理由です。まだ飾っておられない人は、是非、明日中に飾ってください。

2009年12月28日

学力の向上~色別管理法

  学力向上をはかるための有効な手段の一つは、さまざまな色の使い分けです。
この提唱者は『声に出して読みたい日本語』の著者である明治大学の斉藤孝教授ですが、色別に管理すると学習の効率は格段にアップします。
  学習の際には本や参考書、問題集、ノート等を使いますが、これらを何回も繰り返すことが大切です。つまり重要度や理解度に応じて「赤」「青」「緑」を使い分けるのです。問題集を例にとると、正解の場合には赤、単純ミスの場合には青、重要な間違いの場合には緑というように色分けしておくのです。こうしておくと緑色の部分を重点的に見直すことにより、効率的な学習が可能になります。学力の向上のためには、自分なりにこの勉強法をマスターすることなのです。この色別管理法は社会に出てからもさまざまなことに応用できます。
  私も現在、スケジュール管理や読書にはこの色別管理法を応用しています。スケジュールについては、出張する時は赤、来客は黒、会議は青、資料作成等の準備は緑のボールペンで記入する。読書については、重要な箇所には赤、やや重要な箇所には青、自分が興味を感じた箇所は緑というように使い分けています。最近は3色や4色のボールペンが販売されているため、色別管理には便利です。
一度、この長期休業中に試してみてください。

2009年12月27日

学力の向上~集中力の修得~

  学力の向上をはかるためには、ある程度の学習時間を増やすことが必要ですが、長い時間机の前に座っていれば必ず効果が上がるということでもありません。ポイントはいかに気持を集中することができるかです。集中力は学習だけではなくスポーツや芸術についても必要ですが、これを身につけることができれば、さまざまなことに活用できるようになります。経験を積めばどういう条件の下でも集中することができるようになりますが、最初のうちは環境を整えることから始めて欲しいと思います。特に、学習しているのに学力が上がらないという人は次の点をチェックしてみてください。学習環境を変えることで集中力を高めることができるようになります。
  ①勉強場所の整理・整頓はできているか
  ②周囲に気になるものがないか (携帯電話やゲーム機、漫画、お菓子等)
  ③光の刺激や騒音は問題ないか
  ④冷暖房は適切か (頭寒足熱)
  ⑤スケジュールが明確になっているか (時間管理と気分転換)
  〝整理整頓ができていないため、物を探すといった無駄な時間が多い〟〝携帯電話でメールの交換をしたり、ゲーム機や漫画に手を伸ばしている〟〝その日にやるべきことや何時までに何をどれだけやるかが決まっていない〟という状況では成果があがらないのは当然です。
  最近は個室を持っている人が増えていますが、学習にはリビングの方が効果的であるということも言われています。
  集中力は将来の仕事をする上でも大いに役立つ力ですので、是非中学・高校・大学を通じて修得するようにして欲しいものです。

2009年12月26日

 学力の向上~苦手科目の克服~

  人は誰でも好きなものと嫌いなもの、得意なものと不得意なものがあります。当然のことながら、これは科目についても当てはまります。生徒達に「得意な科目と不得意な科目は何か」という質問をすると、〝英語〟〝数学〟〝国語〟〝世界史〟〝生物〟〝化学〟等さまざまな答えが返ってきます。一般的には成績の悪い科目が苦手科目に、成績の良い科目が得意科目になっています。そして、得意科目についてはよく学習するのに対して、不得意科目はあまり学習しないという傾向が強いようです。そのためますます成績が悪くなり、苦手意識も更に増すといった悪循環に陥っている生徒が多いようです。
  このように苦手科目は学習の絶対時間が少ないため、基礎のできていないことが多いのです。従って、一学年下の内容に戻る、極端な場合には高校生なら中学の教科書の内容に、中学生なら小学生の教科書の内容に戻ることが成果に結びつくのです。
  昔から〝好きこそものの上手なれ〟という言葉があるように、好きだからこそ人に言われてやるのではなく自主的に行動するのです。何事も興味をかきたてることによって「好き」にしてしまうことが大切であり、学習も同じです。
  長期休業の期間は苦手教科を克服する絶好の機会です。苦手教科であるからといって放置しておくのではなく、比較的好きな分野を選んで取り組んで欲しいと思っています。

2009年12月25日

学力の向上~規則正しい生活習慣~

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  年末年始の長期休業に入りましたが、学力を伸ばすためにはこの間の過ごし方が極めて大切です。よく基本的な生活習慣を代表する言葉として〝早寝・早起き・朝ご飯〟があげられますが、これらと学力とは明確な相関があります。
  本校では毎年、卒業式で無遅刻・無欠席の生徒の皆勤賞表彰を行ないますが、ほとんどが学力の高い生徒です。
  近年、渡辺武郎ボストン大学教授らのグループが〝学習中に活動する脳の領域が睡眠中にも活動している〟ことを機能的磁気共鳴画像で確認し、睡眠をとると成績が向上することを発表しました。また、〝朝ご飯をしっかり摂ると体温が上がり脳の働きが高まる〟〝一日の中で脳が最も活性化するのは朝の時間帯である〟ということも分かってきました。
  また、休み明けには「だるい」「おなかが痛い」と訴えてくる生徒の数が増えているようですが、この原因は生活リズムの乱れです。夜中までテレビゲームなどをしていると光で脳が刺激されて眠くならないという状態になります。こうなると起床が遅くなり、「朝食を摂らない」「排便もしない」ということになります。長期休業中に何日もこのような不規則な生活を続けていると、体調不良に陥り、結果的に勉強に集中できないということになってしまいます。
  是非、長期休業中にはしっかりとスケジュールを固め、規則正しい生活を心がけて欲しいものです。

2009年12月24日

日本におけるクリスマス

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  本日、12月24日はクリスマス・イブです。不況を反映してか、今年は家で静かにクリスマスを祝う人が多いようです。そのためケーキの箱を持って家路を急ぐ姿が目に付きました。
  日本におけるクリスマスは宗教とは全く関係のない華やかなパーティーやディナー、ケーキを囲んでの家族での団欒といったものが定番になっていますが、そのルーツは古代ローマでの非常に宗教色の強い行事でした。このことはChristmas(クリスマス)の語源が、ラテン語の「クリストゥス・ミサ」であり、Christ(キリスト)とmas(礼拝)からきていることからも窺い知れます。
  キリスト教は中東からヨーロッパに伝わりましたが、当時の古代ローマでは冬至の日に 太陽神を崇拝する異教徒が大きな力を持ち「太陽神の誕生祭」や「農耕神への収穫祭」を行なっていました。そのため、初代キリスト教の指導者達は異教徒との対立や摩擦を生むことなくキリスト教を広めるために、12月25日をクリスマスとしたと言われています。
  現在、キリスト教信仰が根づいている地域ではクリスマスは祭日になっており、この前後にはクリスマス休暇をとってほとんどの人はお里帰りします。そして、久しぶりに会った家族や友人達と家で食事をしたり、教会にお祈りに行くのが一般的になっています。まさに、日本における正月休みの帰省と同じです。
  日本人の特質はこれまで他の国の行事や文化・宗教等色々なものを取り入れて日本流に焼き直すという高い能力を有しています。バレンタインデーにチョコレートを贈ったり、クリスマスに生クリームやふんだんに苺を使ったケーキ食べるというのは日本独特の風習なのです。七五三や初詣は神社で、結婚式はキリスト教で、葬式は仏教で、ということを上手に使い分けている人が多いのも事実です。
  今、日本で行なわれているさまざまな行事のルーツを知っておくことも大切なのではないかと感じています。

2009年12月23日

冬至と一陽来復

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 12月の半ばになって、ようやく日本列島にも寒波が襲来しましたが、長期予報では暖冬の傾向は変わらないようです。既に暦の上では冬至(22日)は過ぎましたが、天文学的には、この日は一年で最も夜の長さが長くなる、言い換えると日照時間が一番短く太陽の力が一番弱まった日ということになります。この日には「ゆず湯」に入り、「冬至かぼちゃ」を食べる風習が日本にはあります。
  冬至は「とうじ」と読みますが、これを「湯治〔とうじ〕」とかけて生まれたのが柚子湯です。「柚子湯」は、厳しい寒さの中でも健康に暮らせるようにと、浴槽に柚子を浮かべてはいるお風呂のことですが、風邪を防ぎ、皮膚を強くするという効果があるとのことです。また、柚自体にも意味があり、「融通〔ゆうずう〕が利きますように」という江戸時代の庶民の願いが込められているのです。
「かぼちゃ」は、厄除けになる、病気にならないと言われていますが、実際にかぼちゃにはカロチンやビタミンAが多く含まれています。このビタミンAは、肌をツヤツヤにし動脈硬化の予防になるだけでなく、皮膚や粘膜、視力、骨や歯にも効果があると言われており、冬にビタミンなどの供給源が不足した時代には貴重なものだったのです。
  一方で冬至は〝一陽来復の日〟として尊ばれてきたという歴史があります。その理由はこの日を境に昼が徐々に長くなる、つまり再び太陽の力が強まる日であるからなのです。
  現在多くの人がおかれている状況はまさに冬の時代かも分かりませんが、必ず春はやってきます。勇気を持ってこの難局を乗り切るという強い思いで新しい年を迎えたいものです。

2009年12月22日

授業納め式を終えて

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  12月22日(火) 、授業納め式で次のような話をしました。

  〝それでは、服装・姿勢を正し、元気よく朝の挨拶をしましょう。皆さん、おはようございます。本当に月日の経つのは早いですね。この一年間、皆さんは勉強をはじめ色々なことに取り組んできたと思いますが、充実した1年でしたか?インフルエンザの予防のため、マイク放送を使っての授業納め式になりますが、一年の終わりにあたって、皆さんに“学問に王道なし”という言葉を紹介したいと思います。この言葉は英語の“There is no royal road to learning”の直訳ですが、紀元前300年頃、ギリシャの数学者であるユークリッドがエジプトの王様に幾何学を教えていた時に“幾何学を学ぶのに近道はないのか”と聞かれ、“幾何学に王道なし”と答えたことに由来しています。その後、幾何学が学問に置き換えられ“学問に王道なし”という言葉になりました。
つまり学問には身分の上下はなく、誰が志しても、等しく経験しなければならない〝努力という過程〟が必要である。安易なやり方、楽な方法、近道はないという意味です。これは学問に限らず、スポーツにおいても、芸術においても、仕事においても同様です。
  今年ゴルフ界で大活躍し、弱冠18歳という若さで賞金王に輝いた石川遼選手も、試合の後にはいつもショットの反省をし、納得いくまで練習をしているようです。
  今年一年、皆さんの中には努力したことが報われて良い結果に結びついた人、自分では努力したと思っていても十分な結果が得られなかった人、日頃の努力不足がそのまま結果に反映された人等さまざまだと思います。年の瀬にあたって、是非自分なりにこの一年を振り返ってみて下さい。そして新たな年を迎えて欲しいと思います。
  反省のないところに進歩はありません。また努力のないところに“成功”という二つの文字も存在しません。まさに学問に王道はないのです。

  最後に高校3年生の皆さん!いよいよセンター入試が目前に迫ってきました。
この時期は精神的に不安定になりがちですが、自分が苦しい時は他の人も苦しいのです。これからも学力は間違いなく伸びます。体調管理に十分留意し、最後まで粘って下さい。
  どうか皆さん良いお年をお迎え下さい。〟

2009年12月21日

学力の向上~学習時間を増やす~

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  12月21日(月)、今年も残り少なくなりました。先週から始まった個人懇談も本日でほぼ終了しました。私もできる限り来校された保護者の皆さんに声をかけるようにしていますが、当然のことながらお子さんの学力や将来の進路について心配されている様子がうかがい知れます。
  それでは〝どうすれば学力がつくのでしょうか〟「学力向上のための特効薬はない」というのがその答えです。ごくあたり前のことですが、学力をつけるには学習時間の確保しかありません。ある程度の時間をかけなければ駄目だというのは学習だけではなくスポーツや芸術においても同様です。つまり練習時間の絶対量が少ないのを棚に上げて高度なことをやろうとしても成果は上がりません。基礎的なことを繰り返し行なうことが大切なのです。
  学力を向上させるためには、あれこれと考える前にまず学習時間を増やすということから始めて欲しいと思います。それでも当初は努力したことがそのまま報われるかどうかは分かりません。努力したにもかかわらず思い通りの結果が得られないというケースもあるでしょう。しかし〝継続は力なり〟という言葉もあるように、日々の努力はいつか必ず〝花開く〟ものです。
  本校の校訓は『高志・自律・努力』ですが、これらはとりも直さず将来社会に出た時に役立つ力です。生徒達が中学・高校時代に努力するという習慣を是非身につけて欲しいと思っています。

2009年12月20日

マンドリンチャリティーコンサートの開催

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  12月19日(土)、雲雀丘創立60周年記念のマンドリンチャリティーコンサートが開催されました。この催しは学園の同窓会「告天子の会」が中心となって、〝卒業生・粂井謙三とその仲間が贈る魅惑のハーモニー〟と銘打って開催されました。
  粂井氏は大阪市立大学を卒業された後、1978年全日本マンドリン独奏コンクールで優勝、1980年NHK洋楽オーディションに合格、テレビ・ラジオ等にも多数出演される等日本を代表する数少ないプロフェッショナル・マンドリニストです。
  最初に中学・高校のギター・マンドリン部が組曲「スペインの印象」と「星空のコンチェルト」を演奏しました。本校のギター・マンドリン部はこれまで何回か紹介しているとおり、今年で創部44年を迎え、現在の部員数は過去最高の59人です。
  次にオープニングとして、粂井氏とギタリストの杉浦知美氏、ベーシストの喜多健博氏によるA・ヴィヴァルディの「冬 第二楽章」、続いてソプラノ歌手である松村雅美氏を加えて日本の歌・心の歌の演奏が行なわれました。その後、神谷徹氏によるストローによるミュージックファンタジーが演奏されましたが、ストロー楽器から出るさまざまな音色に会場は大いに盛り上がりました。コンサートはG.カッチーニの「アヴェマリア」とA.アダムの「オーホーリーナイト」の演奏で幕を閉じましたが、観客は素晴らしい演奏に魅了されたようです。
  このコンサートには平素多くの面でご支援をいただいている地域の皆さんを招待させていただきました。また、収益金については全額、学園創立60周年記念行事に寄付していただくことになっています。今回のコンサート開催にあたっての粂井氏はじめ同窓会の皆さんのご厚意に心より感謝申し上げます。


2009年12月19日

CO2の削減目標

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  現在、デンマークの首都であるコペンハーゲンでCOP15が開催されていますが、先進国と発展途上国間のCO2総量の削減義務については平行線のまま合意に至らない状況です。これまでに合意に至った内容は、科学的な見地に立ち、気温上昇を2度以内に抑制、来年2月までに先進国は2020年に向けた排出削減目標、途上国は排出抑制行動計画を提示、先進国は2010~12年に途上国支援として総額300億ドルを、20年までに1000億ドルの拠出を目指すというものです。
  日本は2020年には1990年比25%減という目標を掲げていますが、改めて対応を問われることになります。そもそも25%というのはかなり意欲的な数字です。というのも:現時点においてはこれまでの増加分も含めると30%をはるかに超える削減が必要ということになります。しかも世界に先駆けて省エネを進めてきた日本の産業界にとっては〝乾いたタオル〟を絞るということになりかねません。仮に日本だけが突出した目標設定ということになれば、排出権の購入等の問題が起こり、企業の国際競争力は低下してしまいます。認識しておくべきことは中国とアメリカの動きです。世界最大のCO2排出国は中国であり、アメリカと合わせると全体の40%を占めているため、この2ヶ国の動向を無視することはできません。
  また、発展途上国の経済成長を勘案すると、このままでは地球の温暖化は急速に進み、やがては深刻な事態を招くことになるのは目に見えているのです。生態系が崩れることになると最悪のケースでは人類の滅亡といったことも起こるかも知れません。まさに、今は〝総論賛成、各論反対〟という状態ですが、世界の先進国が温暖化ガスを半減する、というくらいの取り組みが必要になってくるように思います。

2009年12月18日

成功者の言葉~野口英世博士~

  本日は有名な細菌学者であり、今の千円札の顔にもなっている野口英世博士について紹介します。彼の伝記を読まれた人も多いのではないかと思いますが、野口氏は1876年(明治9年)に福島県で生まれました。
  不幸なことに、幼い頃、いろりに左手を突っ込んで大火傷を負ってしまいます。当時は家にろくなお薬がなかったため、母親は泣きながら毎日神様に必死にお祈りを続けましたが、母親の祈りもむなしく英世の左手はくっついたままになってしまいました。やがて英世は学校に通い始めましたが、左手のことでいじめに遭います。それでも母親は英世を必死で励まし続け、英世はこれに応えて雨の日も、雪の日も、勉強を一生懸命がんばり、恩師となる小林先生と出会います。当時は、身分に限らず、勉強すれば世にはばたくチャンスがある時代であり、先生は英世の才能を見出し、進学のお金を出してくれたのです。 
  進学してからも、英世は一心不乱に勉強に打ち込みます。この姿に胸を打たれた先生や同級生からお金の援助を得て、英世は左手の手術を受け、左手が動くようになります。これに感動した英世は、医者を志します。
  医者を目指し旅立つ際、英世は家の柱に成功するまでふるさとには帰らないという強い決意を込め、「志を得ざれば 再び此地を踏まず」という言葉を残しました。
  その後彼は、より多くの人々を救いたいと考え、世界中で多くの人の力を借りて細菌の研究を重ねました。そして、幾多の挫折や困難を乗り越え、ついに歴史上の大発見と言われる「梅毒スペロヒータ」という細菌を見つけたのです。これにより、非常に多くの人々が救われ、ノーベル賞の候補にもなりました。その後、黄熱病の研究のためアフリカへ向かいましたが、志半ばでその黄熱病にかかり、51歳という若さで亡くなりました。
  また、彼は次のような言葉を残しています。  
〝生の最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない。〟〝努力だ、勉強だ、それが天才だ。誰よりも、3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ。〟〝絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ。〟
 
  何よりも 「忍耐」「努力」「勉強」の3つを大切にしていたことが分かります。

2009年12月17日

成功者の言葉~三浦綾子氏~

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  今回は、小説家である三浦綾子さんの言葉を紹介します。彼女は1922年(大正11年)に北海道旭川(あさひかわ)市に生まれ、1939年(昭和14年)旭川市立高等女学校を卒業、17歳から7年間小学校教員を勤めました。しかし、間もなく肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間の闘病生活を余儀なくされることになりました。この苦しみの中、病床でキリスト教に目覚め受洗され、三浦光世と結婚しました。その後1964年(昭和39年)、朝日新聞社募集の1000万円懸賞小説に『氷点(ひょうてん)』が入選し、斬新な新聞小説として一躍脚光を浴びることになりました。
  彼女は自らを〝病気のデパート〟と呼ぶくらい、肺結核と脊椎カリエスの他、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病等、度重なる病魔に襲われました。それでも常に人生を前向きにとらえ、クリスチャンとしての信仰に根ざした作家活動を積極的に続けられ、『積木の箱』『塩狩峠(しおかりとうげ)』『細川ガラシャ夫人』『天北(てんぽく)原野』『銃口』等、作者の敬虔(けいけん)な信仰世界を投影した作品やエッセイを数多く発表されたのです。
  人間は逆境に陥るとどうしても気持ちが落ち込んでしまいます。特に彼女のように次々と重い病気にかかると、生きる意欲もなくしてしまいがちです。それだけに、彼女の言葉は我々を大いに勇気づけてくれます。

  〝よい習慣を身につけて生活をいっそう充実させ、豊かな人生を送るようにしたい。 一見、マイナスと見える体験というものが、どんなに人を育てるために大事な体験であることか。そのマイナスの体験が、やがて、多くのプラスに変わるのではないだろうか。「死ぬよりほか道がない」などと考えるのは、いかに人間が傲漫であるかということの証左である。道は幾つもある。生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。人生には、学ぶべき教材がごろごろところがっている。学校を出ていないということもまた、一つの教材である。貧しいことも、体の弱いことも、失敗も失恋も人との不和も、そしてまた、順境も逆境も、学ぼうと思えば、すべてが教材なのである。〟
 
  このように成功者は例外なく現状を容認し、プラス思考で前向きに行動されています。私も三浦さんの作品を何冊か読みましたが、どれも心に残る素晴らしいものばかりでした。皆さんも是非一度時間を見つけて読まれることをお薦めします。

2009年12月16日

第38回中学校英語暗唱大会の開催

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  12月16日(水)午後、中学生の部の英語暗唱大会が行なわれました。この大会が始まったのは1971年(昭和46年)で、今年は38回目を迎えます。最初はESS部主催で土曜日の午後に行なっていたため、聴衆もわずか数十名ということでしたが、その後英語科の主催で全中学生が参加する大会になりました。そして、本校の伝統の行事の一つとして毎年この時期に開催されています。 

  本年は各クラスから選ばれた中学1年生10名、中学2年生 8名、中学3年生 8名の計26名が発表しましたが、本日に至るまでには中学生全員が各学年の指定する課題に約2ヶ月もの間取り組んできました。それぞれの学年の題目は、1年生は「Happy Christmas(War is Over)」、2年生は「Sound of  music」、3年生は「I have a dream」です。出場者にとっては、生徒や先生、保護者等合わせて約500名の聴衆の前で、しかも英語で発表することは初めてという人がほとんどだと思います。私は残念ながら所用のため出席できませんでしたが、先生方に発表者の様子を聞くと、一人ひとりが身振り、手振りをまじえながら表情豊かに堂々と発表を行なったようです。

  暗唱はまず先生の真似をすることから始まり、何度も練習を繰り返した後に、文の内容を咀嚼し自分なりのスタイルに磨き上げ聴衆の心に訴えかけていくことが大切です。これまで繰り返し練習を積むことによって鍛えられた精神力や自信は将来きっと役に立つことでしょう。これからグローバル化の進展に伴い語学力やプレゼンテーションの能力が益々重要になってきますが、中学・高校生活を通じてこれらの力をしっかりと身につけていって欲しいものです。

 

2009年12月15日

センター入試本番に備えて

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  いよいよ大学センター入試まで残り1ヵ月になり、高校三年生は追い込みに全力を傾注しています。
12月14日(月)、15日(火)の両日にわたりセンター入試の本番に合わせたセンター直前模試を実施しました。
  センター入試の細目については既に発表されており、現在それぞれの生徒は志望校に合わせて受験スケジュールを立てている段階です。生徒達はこれまでさまざまな模擬試験を受験してきていますが、センター入試とは受験教科の順番や休憩時間、日程等異なるところも数多くあり、センター入試に合わせた受験は一度も経験していません。
  大きな違いは、ほとんどの模試が1日で実施されるため休憩時間は10分しかないのに対して、センター入試は2日にわたり実施され休憩時間も45分あります。また、試験開始から終了までは実に9時間以上にわたっていますし、試験会場も男女別になっています。従ってこの模試の主眼を「センター試験と同一の条件下で受験させる」ことに置き、開始時間も時間割りもすべてセンター本番どおりとしました。
  そのために「受験科目はセンター当日受験する科目とする」「自分の受験科目に合わせて登校する(時差登校)」「入室完了時間なども当日に準ずる」「教室内の私語は厳禁とし、休憩時間も話をする場合は廊下に出る」「英語Listeningも当日同様、ICプレーヤーを使い実施する」といった取り組みをしました。
試験科目間の休憩時間が長く、生徒達は少し戸惑っている様子も感じられましたが、精一杯前向きに模試に取り組んでいたようです。初日は18:35に英語Listeningが終了し、その後終礼をしたので、帰りは19:00前になりましたが、終礼時にKitkatを食べ(もちろん「試験に勝つ」という意味を込めて)本番へ向け気持ちを高めることができました。
  センター試験においては精神的にタフでなければ良い結果を得ることは出来ませんし、緊張感をどのような形で持続させるのかが極めて大切です。今回の模試は生徒達にとっては大いに効果があったのではないかと思います。1カ月で学力はまだまだ伸びます。センター本番に向けて粘り強く学習して欲しいと思っています。

2009年12月14日

成功者の言葉~松下幸之助氏~

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  一代で松下電器(現、パナソニック)を築いた松下幸之助氏が亡くなられて既に20年以上が経過しましたが、今の混迷した時代の中で松下氏の著書が再び多くの人に読まれているようです。私もかつて数十冊の著書を読みましたが、最近これらを読み返しています。松下氏は小学校しか出ていませんし、体も弱くお金もありませんでした。それだけに松下氏の成功に対する言葉には重みがあります。
  
  〝考えても答えが出ないものもある。答えの出ないものは、自分の足を運んでいって尋ねるとか、なんぼでも方法はあるわけや。君に志があればな。 しかし、志がなかったらあかんわな。 むこうから来てやってくれへんからな。「君こうしたらいい」というようなことは誰も言わへんから、暇を見て、君が足を運んで、教えを請うというようにやらないといかん。 そういうことの有無で違ってくるわけやな。ぼくが松下電器をつくったのは、百円の元手やった。技術も何もあらへん、学校へ行ってへんからな。 それがいつの間にか今日の松下電器ができたわけや。 最初に松下電器をつくったときにそんな夢を言っていたらみんな笑いよったやろうな。 しかし日がたったらできたわけや。だからね、できないことはあらへん。
  「ただぼくが成功できたのは、最初にこれをやろうと思ったことは、志を変えなかったからや。六十五年間、商売というものを一回もやめなかった。もうそれ一筋にやってきたわけや。金が払えん、非常に困ったというときでも、一向に迷わんとやってきた。それでついに今日の松下電器ができたわけや。」・・"志"を立てることに、お金も、学歴も、いらない。〟
  また、松下氏は成功の条件として〝めげることなく辛抱強く、地道な努力を重ねていくことではじめて物事を成し遂げることができる。そしてひとたび志をたてた以上、道にかなったことである限りは、最後の最後まであきらめない。「成功とは成功するまで続けることである」ということを心に止めて生きていくべきである〟と訴えています。
 
  最近は苦しいことを避け、安易な道を選ぼうとする傾向が強くなってきていますが、これでは絶対に成功者になることはできません。現在、受験を間近に控えている人達にとっても、就職活動を行なっている人達にとっても、新たな仕事に取り組んでいる人達にとっても厳しい状況が続いていますが、自らが成長するチャンスであると前向きに受け止め、絶対に諦めず最後までチャレンジし続けて欲しいと思っています。

2009年12月13日

成功者の言葉~本田宗一郎氏~

  本田宗一郎氏は戦後、ゼロから出発した企業を、「世界のホンダ」といわれるまでに育て上げ、日本人として初めてアメリカの自動車殿堂入りを果たすなど、海外での評価の高い技術者であり経営者です。最近の不況下にあっても、ホンダ(本田技研)は比較的元気ですが、「模倣に走らず、独自技術を生み出す」、「人間のために心の通う技術を開発する」という思想は、今でもホンダには脈々と受け継がれているようです。
  本田氏は次の言葉を残しています。
  〝何もやらず、頭から「出来るわけが無い」と決めて掛かる発想が私は一番嫌いである。出来るか否か?って事は、やってみなければわからない事であり、こういうスタンスで挑戦し続ける事が大切です。やる前から「出来る訳が無い」と諦める人は、何事においても「出来るわけが無い」という理由で挑戦すらしません。可能性はゼロ!なんです。「出来るはずだ」と考えてチャレンジする人が、いつの時代も道を切り開いて成果をあげているんですよね。〟また、成功と失敗については発明家のエジソンと全く同じ言葉を残しています。
  〝多くの人々は皆成功を夢見、望んでいるが、成功とは99%の失敗に支えられた1%だと考える〟。つまり、能力の限り未知の荒野に飛び込み、失敗しても原因を徹底的に分析していくことで最後の成功という結果に達することができるのだということです。本田は何度となく逆境に立たされ、それを克服してきました。ホンダが技術水準をあげ、輸出できるような二輪車を製造するため、3、4億もする設備を買い込み、これに販売不振が加わり資金繰りが苦しくなり倒産寸前まで追い詰められていたことがありました。この時、ホンダは 国際的なオートバイレースである「マン島T・Tレース」へ出場するという大きな目標を掲げたのです。当時日本のオートバイの技術は低く、業界は無謀な挑戦と嘲笑したが、「大変な目標だからこそチャレンジする」と激を飛ばし、悪戦苦闘しながらもついには6年後にはグランプリを獲得し、これを契機にホンダのバイクは世界を席巻することになりました。
  以前、松下電器に勤務している時に『班長交流研修』を行なうということで、約一ヵ月ホンダの鈴鹿製作所で勤務したことがありますが、仕事を進める際にはチャレンジの姿勢を基本にしており、「失敗」に対しても表彰しているということを知って驚いたことがあります。
  この例は成功のためには失敗を恐れず挑戦していくことが不可欠であるということを示唆していると思います。

2009年12月12日

成功者の言葉~トーマス・エジソン

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  皆さんもご存じのことと思いますが、トーマス・エジソンは生涯において実に1,300もの発明を行った、アメリカの発明家です。
  エジソンの発明では特に白熱電球が有名ですが、日本との関わりは深いようです。彼は1879年10月、綿糸に煤(すす)とタールを塗って炭化させたフィラメントを使い、45時間輝く白熱電灯の製作に成功しました。しかし、耐久時間45時間では短すぎるため、商品化するには最低600時間は必要と考え、世界中から6,000種類もの材料を取り寄せ実験をしました。そして、ついに京都男山の岩清水八幡の真竹で作ったフィラメントの電球が、2,450時間灯ることを発見しました。八幡の竹は‘94年にセルローズのフィラメントに取って代られるまで、エジソン電灯会社に輸出され、この竹を用いた白熱電球が、毎年2-3000万個世界各国に輸出されるようになったのです。
  エジソンは、竹のフィラメントを発明するのに1万回失敗しても、挫折せずに努力し続けたと言われています。これを成功させた時に、「私は実験において失敗など一度たりともしていない。これでは電球は光らないという発見を今までに、1万回してきたのだ。」と語ったと言います。
また、エジソンの有名な言葉に「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」があります。我々は〝あの人は天才で自分とは違う〟と簡単に片付けてしまいがちですが、天才と呼ばれている人の共通点は桁外れの努力にあるのは間違いないように思います。

2009年12月11日

あったらいいな、をつくっていく~ビジネスの原点

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  アートコーポレーションにおいては〝あったらいいな、をつくっていく〟というのがビジネスの原点になっており、寺田社長は次のような言葉を述べておられます。これは引越し業だけではなくあらゆる業種についても当てはまる内容ではないかと思います。

  いつも先をいくサービスを提案したい。いつも喜ばれるサービスを提供したい。
  ずっと、その思いを大切に歩んできました。
  そして、私たちがこれまで生み出した数々のサービスのアイデアは、お客さまの「あったらいいな」の声にありました。
  お客さまが必要とするサービスを提供するためには、まず、お客さまの声にしっかりと耳を傾けること。
  そして必要なサービスは、すぐに実行すること。
  私たちアート引越センターは、「引越」を専業とする会社として、初めて創業し、そしてなにより引越を 「運送業」としてではなく、「サービス業」として発展させてきました。
  今、その引越を機軸にしながらも、さらに暮らしと関わる企業へ、暮らし方を提案する企業へ、事業領域はますます広がっています。
  業界のリーディングカンパニーであり続けるために。
  これからも「あったらいいな」の気持ちを大切に、お客さまの視点に立ったサービスで確かな満足を提供していきます。私たちのサービスにゴールはありません。

  また、昨日の講演の中でも心に残る言葉が数多くありました。
「世の中の環境に合わせる」「目標の切り下げはしない。切り下げると更にその目標を下回ることになる」「ハードルを超えてきたことが自信につながる」「強い会社とは一人一人が個の単位で強い」「一人一人が会社の顔である」「単に頑張りますというだけでは駄目、具体的な行動計画に落とし込む」等です。
  これらの言葉の中にある〝会社〟を〝学校〟に置き換えると、共通することが多くあるように感じました。今回の研修で学んだことを教育活動に活かしていきたいと思っています。

2009年12月10日

教職員研修会の開催~寺田千代乃氏の講演

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  12月10日(木)、学園の全教職員を対象にアートコーポレーションの寺田千代乃社長から『Small but Excellent ~小さな一流企業を目指して~』というテーマで講演をいただきました。
  本学園では、毎年この時期に外部から講師をお招きして、教職員研修を行なっています。寺田氏は女性経済人として、2002年~2004年は関西経済同友会代表幹事を務められ、2005年5月に関西経済連合会副会長に就任されています。また、本学園の理事として、実社会での豊かな経験をもとに教育活動に対する指導助言をいただいています。
  アートコーポレーションの前身は1972年大東市で設立された寺田運輸株式会社です。同社は第1次オイルショック時の1976年 に引越事業を開始され、アート引越センター事業部を設置、翌年これを独立させてアート引越センター株式会社を設立。その後、競争の激しい引越業界にあって、価格競争よりも斬新なアイディアと「業界初」となるサービスの開発と提供に重点を置いて事業を進めてこられました。主な取り組みを紹介すると、電話帳の最初のページへの表示を狙って社名を「アート」に、電話番号の「0123」や「荷造りご無用」などのキャッチフレーズの採用、全員女性スタッフという女性向けの引越プランである「レディースパック」、作業員が引越先に入る際に新しい靴下への履き替えをする「クリーンソックスサービス」、高齢者向けの「シニアパック」、荷造り・荷解きの代行・手続きをまとめて行なえる「ワンストップサービス」、企業向け転勤支援システム等です。また最近では郵便局での引っ越しサービスの申し込み受け付けやお部屋を〝快適に 広く 美しく〟暮らすための「アートエプロンサービス」、「ホームケアリストサービス」等を導入されています。このように同社は次々と新たなことに取り組むことによって引越のイメージを塗り替え、引越業界を牽引してこられているのです。
  振り返ると、同社は必ずしも順調に成長してきたわけではありませんが、引越し業は「運送業」ではなく「サービス業」であるという原点に立って、さまざまな経営危機を乗り切ってこられたようです。常にお客様の目線に立ち、現場を大切にしてビジネスを展開されている姿を紹介いただき、学校経営においても大変参考になりました。学校においても「人材育成サービス業」という視点に立って教育活動を見直していかなければならないと改めて感じました。
  本日、寺田氏にはご多用中のところ、貴重なお時間を割いてご講演をいただき心より感謝申し上げます。

2009年12月09日

成功者の言葉 ~マイケル・ジョーダン

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  昨日の校長通信で伝えしたように、本日より何回かに分けて成功者の言葉を紹介しますが、最初から成功が約束されていた人は誰もいません。彼らの言葉からは例外なく失敗をし、それを乗り越えることによって成功者になっていることがお解りいただけると思います。
  皆さんはマイケル・ジョーダンという選手を知っていますか?。彼はアメリカ・プロバスケットボール・リーグのスーパースターとしてNBA最優秀選手 5回、シカゴ・ブルズNBA優勝 6回、NBAファイナル最優秀選手 6回という輝かしい経歴の持ち主です。身長は198cm、体重90kg、手のサイズ24cm、靴のサイズ31cmという体格ですが、垂直とびは122㎝、助走をすると150cmという桁外れのジャンプ力を持っており『バスケットの神様』と言われていました。
  このジョーダン選手は「私は9千本以上のシュートをミスした。300の試合に負けた。ウイニングショットを26回もはずした。私は生涯の中で、何度も何度も失敗を繰り返してきた。」と自分の失敗を明確に語っていますが、この言葉の最後は「そして、それが私の成功の理由だ。」という言葉で締めくくられています。
  また彼は「成功の反対は失敗ではない。挑戦しないことである」「新しいことを始めるのは怖くない。怖いのは、新しいことを始めなくなることだ。」「まだできるとわかっていて去ることを選んだ。ずっと辞めるときはそうしたいと思ってきた。」「飛んでいるかどうかは分からないけど、足に小さな翼がついているように感じることは時々ある。 」「僕の闘争心は、これまでに会った誰よりも遙かにすごいと感じている。 」「才能は勝利をもたらすが、チームワークと知性は優勝をもたらす。」という数々の名言も残しています。
  マイケル・ジョーダンは身体的な能力もさることながら、負けず嫌いと精神力はずば抜けたものがあったようです。大切なのは心の持ち方です。皆さんにはどうか失敗を恐れず勇気を出して何事にも挑戦し、たとえ失敗してもくじけず再挑戦して欲しいと思っています。

2009年12月08日

人生は成功と失敗の連続

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  今年も残り少なくなってまいりました。今は上級学校への受験を目指す人、就職活動をする人、資格取得を目指す人、企業の経営改善に取り組む人等それぞれの立場で懸命に努力されていると思いますが、人生においては努力してもなかなか思い通りの成果に結びつかないということも多いのです。 しかし、この時にどういう行動をとるかによって、その後成功するか失敗するかが決まることになります。
 古今東西、成功者といわれている人は、どういう状況になっても前向きに受け止め、決して諦めることはありません。うまくいかないとすぐ諦めてしまう人がいますが、これでは自ら成功への道を閉ざしてしまうことになるのです。
 人間の一生は成功と失敗の連続です。成功し続けることも失敗し続けることもありません。また、高い目標を設定すればするほど失敗のリスクは高まってきます。ミスや失敗は決して喜ぶべきものではありませんが、何事をするにも、失敗したらどうしようという思いが先に立つとなかなか手を出せなくなりますし、往々にして達成可能なレベルまで目標を引き下げることになりがちです。このことを繰り返していては決して充実した人生を送ることはできないでしょう。
 目標に近づこうとする過程においては、失敗することがあるかも知れませんが、失敗があるから次の成功があることを忘れてはなりません。"失敗の後の一歩から道が拓ける〟のです。成功者は例外なく〝成功した理由は失敗してきたから〟と言っています。
 皆さんは是非高い目標を持って失敗を恐れずチャレンジして欲しいものです。そのため、これから何回かに分けて成功者の考え方や行動を紹介していきたいと思っています。

2009年12月07日

国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議の開催

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  12月7日(月)、暦の上では大雪(たいせつ)ということで初冬の真ん中になりますが、まだまだ本格的な寒さは到来してこないようです。奇しくも本日から18日まで、2013年以降の地球温暖化対策の国際的な枠組み(ポスト京都議定書)を協議する『国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)』が、コペンハーゲンで開幕されます。この会議における焦点は先進国の温室効果ガス削減目標や開発途上国の排出抑制策をはじめ途上国支援の大枠について実効性のある「政治合意」を取りつけられるかどうかです。
  政治合意に盛り込まれる先進各国の削減目標は、各国が提示した自主的な数値をもとに、それぞれの温室効果ガス排出規模や過去の省エネ努力を考慮して設定されることになっていますが、それぞれの国の思惑が交錯し足並みがそろっていないのが現状です。交渉の主導権を握ろうと各国は2020年までの温室効果ガスの排出削減目標を発表していますが、問題は出されている数字の基準年が異なっているということです。
日本は2020年の排出量を1990年比25%削減する目標を掲げ、欧州連合(EU)も同20%削減を打ち出しました。一方、米国は05年比で17%削減としていますが、90年比ではわずか3%の削減目標になります。05年比にすると日本が30%削減、EUが13%削減ということになり、日本の目標が突出していることが分かります。
  EUは「他国が同等の努力をするなら30%削減にまで踏み込む」とアピールしていますが、今のところ追随の動きはみられません。また、エネルギー効率の低かった旧東欧圏の排出削減が比較的容易なことなどを勘案すると、それほど野心的な数字でないとも見られています。
  世界トップで排出量の約21%を占める中国は、国内総生産(GDP)を一定額生み出す際の排出量を「05年比で40~45%削減する」と表明し、インドも「05年比20~25%削減できる」との政府試算を発表しましたが、国際公約にすることは避けたい意向です。
  まさに高い目標を掲げる日本にとって、各国に公平な削減目標をいかに求めるかが課題です。COP15における動きをしっかりと見つめておきたいものです。

2009年12月06日

産業界のCO2排出

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  先月末までに、産業界の主要10業種の2008年度のCO2排出実績が出揃い前年度比で全業種減少になりました。この数値を見ると順調にCO2の削減が進んでいるように見えますが、決して楽観できる状況ではありません。これは昨年のリーマンショックに端を発した不況の影響で減産や消費低迷が進んだからであり、削減の努力をした結果ではないのです。もしこれまで通りの生産が続いておれば、確実にCO2の排出は増加していたと思われます。何故なら京都議定書の基準年である1990年比では電力、石油、電機・電子、スーパー等は大幅な排出増になっているのです。特にスーパーではほぼ100%、電機・電子では68%、電力では44%、石油では31%も増加しています。スーパーの場合は平均延べ床面積が13%も拡大し、営業時間は37%も延長、電機・電子では半導体や液晶のクリーンルーム等での電気の大量消費、電力では原子力発電所の利用率が低迷しました。
  日本はCOガスを2020年に1990年比25%削減するという意欲的な目標を掲げましたが、これを必達するためにはこれまでのやり方を改善するというような考え方では駄目だと思います。また、安易に世界の国々から排出枠を買うというようなことでつじつまを合わせるようなことも避けなければなりません。  
  現在、日本が持っている環境技術を総動員して大幅な削減をはかるための取り組みを進めていかなければならないと思っています。

2009年12月05日

第3回高等学校入試説明会の開催

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  12月5日(土)、第3回の高等学校説明会を開催しました。本日は午前中雨が降り続いていましたが、午後には天気の回復と共に気温も上がり、1時20分の受付開始と同時に生徒と保護者の皆さんが続々とお越しになり、出席者は930名という多数にのぼりました。そのため講堂は満席となり急遽補助椅子を準備させていただいたり、資料を追加でお届けすることになりました。
  本日はできるだけ本校の生徒達の様子もご覧いただくという趣旨で、3つのクラブの皆さんにお手伝いいただきました。まず開始までの時間を利用してギター・マンドリン部による演奏を行ないましたが、新しいメンバーになって練習を積み重ねており、なかなか好評のようでした。2時からの説明会においては冒頭、私から「社会で役立つ力を育てる」というテーマでパワーポイントを使って次のような話をさせていただきました。
  「皆さんが高校・大学を終えて社会に出るまでには8年間あります。この間どのような生活を送るかは将来の人生にとっても極めて大切です。今、世界は大きく変化してきていますが、現状における地球規模の課題にはどういうものがあるのか、そして、8年後にはどのような世界になっているのかを想定しておかなければなりません。これからはIT、バイオ、ナノ、エコ等の新技術によって新しい仕事やシステムが続々と生まれてきます。また、BRICsをはじめとした国々が急速な経済発展を遂げることになります。そうすれば、皆さんの活躍する場は世界中に広がってくるのです。本校の教育方針は〝将来社会で役立つ力を育てる〟ということです。社会で活躍するためにはしっかりとした人間力と学力が必要です。来年3月には高校の新校舎も完成することになります。この恵まれた環境下で、人間としての根っ子をしっかりと育ててください。」
  次に教頭から学校の教育内容や学校改革の進捗状況についての説明を行なった後、剣道部員による実技と放送部部員による学校紹介、最後に入試広報部長から本年度の入試結果や来年度の入試に関する留意点等の説明を行ないました。
  説明会終了後には学校見学やクラブ見学をしていただくと共に個別相談をお受けしました。本日は予想を上回る皆さんに参加いただくことになり、長時間窮屈な状態で一方的なご説明をお聞きいただくことになりました。また、資料が不足するという不手際もあり誠に申し訳なく思っています。
  これで本年度の入試説明会は、中学・高校共全て終了しましたが、本校ではいつでも学校見学や入試相談に応じていますので、事前にご一報いただきご来校いただきますようお願いします。

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2009年12月04日

定期考査を終えて

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  12月4日(金)、5日間にわたる定期考査が終了しました。定期考査は生徒にとっても先生にとっても大変有意義なものであると思います。生徒にとってはこれまでに学習したことが理解できているかどうかを確かめることができます。また先生にとっては自ら教えてきたことがどれだけ生徒達に伝わっているのかを確認するチャンスでもあります。今、職員室では先生方は採点の真最中ですが、自分が意図したとおりの結果で満足している人もいれば、どうしてこんな簡単なことができていないのかと疑問を感じている人もいるようです。
  もし、定期考査というチェックがなければ生徒達の理解度は分かりません。先生にとって定期考査は次の授業をどのように展開していくか考える良い機会であると思います。一方生徒にとっても色々な面で反省しなければならないのは言うまでもありません。この定期考査に向けて努力したことが報われ高い点数に結びついた者もあれば、努力したにもかかわらず思い通りの結果が得られなかった者、日頃の努力不足がそのまま結果に反映された者等さまざまだと思います。先生にとっても生徒にとっても次に備えて反省するチャンスであると前向きに考えることが大切なのではないでしょうか。
  このことは勉強に限らずスポーツにおいても仕事においても同様です。代表的なプロ野球選手であるイチローを取り上げても、18歳で日本ゴルフ界の最高峰に立とうとしている石川遼選手にしても一流と言われる人は必ず試合後バットの素振りをしたり、ショットの練習を欠かしません。
  成長するかしないかは、この反省するという姿勢にかかっています。“反省なきところ進歩なし”という言葉を今一度噛みしめてみたいものです。

2009年12月03日

毎日新聞の『記者の目』を読んで

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 現在、予算の無駄を洗い出す政府の「事業仕分け」が連日新聞やテレビなどで報道されています。
本日の毎日新聞の8面には『記者の目』として東京経済部の寺田剛氏の記事が掲載されていますが、税金のあまりの無駄遣いに驚くと共に憤りを感じている人も多いのではないかと思います。
 私が民間企業での勤務を通じて勉強したのは〝徹底したコスト意識〟です。上司からは〝これをやるには人件費を含めてどれだけのコストがかかるのか〟とか〝すべてのコストは製品に反映されるということを忘れるな〟とか〝自分の財布からお金を出すという気持ちでやれ〟ということを常に言われていました。
 仕事には「絶対にやらなければならないもの」「やればそれなりの効果があるもの」「どちらかと言えばやったほうが良いもの」「以前からやってきたから続けていくもの」等さまざまなものがあります。しかし、ヒトやモノ、カネには限りがあるため、すべてのものをやることはできません。そのため、仕事を洗い出して緊急度と重要度に分類し、優先順位をつけます。その上でどれだけのコストをかけてどれだけの成果を出せるのかということを詳細に検討し、やるものを決定します。当然のことながら大きなコストをかけることができずに見送らなければならないものも出てきます。また、仮に予算が同額であれば、新たなものをやるためにはこれまでやっていたものを思い切ってやめるということも必要になってきます。足りなければ借金するということでは、経営が破綻するのは目に見えています。
 個人の家庭で一家の収入をはるかに上回る支出を続けていれば、当然のことながら家計が成り立たなくなるでしょう。これと同じことが国や地方のレベルで起こっているのです。現在の厳しい経済情勢下においては今一度、「仕事の集中と選択をはかる」という視点でシビアにやるべきことを見直す、これまでの延長線上の考え方から脱却して、ゼロベースで検討するという姿勢が必要であると思います。
 これから、本校についても来年度の経営計画を策定していきますが、原点に戻ってすべてのものを今一度見直し、教育内容の充実につとめていきたいと考えています。

2009年12月02日

中期的な視点に立った計画づくり

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  早いもので12月に入りました。これから来年度の計画を立てることになりますが、これに先立ち学園全体の方針を検討の場が持たれることになります。本日はそのための資料を作成しましたが、現在の学園を取り巻く環境は極めて不透明なものが多いようです。つまり、先が読みにくい状況下にあるということです。これは本学園だけではなく恐らく他の学校法人も同じだと思います。また、最近のマスコミの報道を見てもさまざまな企業や国や地方も来年度の計画策定にあたっては苦慮している様子がうかがえます。
  このように不確定要素が多い時にはともすれば〝とりあえずこうしよう〟といった大雑把な計画になりがちですが、こういう時にこそしっかりとした計画を作らなければならないと思います。良い経営のためには原点に戻ってビジョンを確認し、戦略を再構築する、その上で中期の視点に立ってやるべきことを明確にする、最後に来年度の計画を作るということが大切です。
  言い換えると、単年度計画ではなく最終(3~5年後)の到達目標を決め、現状とのギャップを埋めるためにどうすれば良いのかを決めるということが必要なのです。また、今回については環境の変化に対応するためのいくつかのシナリオを作っておくということも欠かせません。いずれにしてもこれからは難しい舵取りになりますが、智恵を絞り出してこの局面を乗り切っていきたいと思っています。

2009年12月01日

進学指導特色校との懇談会

  12月1日(火)、大阪府の橋下知事と進学指導特色校に指定された府立高校10校の校長との懇談会に出席しました。最初に知事より〝進学指導特色校を指定したのは単に大学受験のための知識を上げるということではなく、急速に進展するグローバル化や発展途上国の教育に対する取り組みを見ると、早晩日本の経済面での優位性はなくなり産業の空洞化が避けられないことになってしまう。これを防ぐには教育レベルを上げ、世界に通用する人材を育てることしかない〟という話がありました。
  次に高校課長から進学指導特色校設定の趣旨や概要、整備の内容についての説明があり、続いて10校の校長から自己紹介を含めて各校の取り組みの紹介がありました。多くの学校で、週2回の6時から8時までの夜間補習や土曜日の補習、自修室の設置、土曜日の特進ゼミ、さまざまなキャリア教育や高大連携等独自の取り組みを実施されており、本校にとっても参考となる数多くの内容がありました。
  私は〝学校は校長の高い志で決まる。今の子ども達はこれまで元気な日本の姿を見てきていない。やればできるという思いを持たせることが大切である。これからはアメリカ一極体制からBRICs やVISTAの発展により多極化体制に移行することになる。グローバル化の視点をしっかりと持ち続けて欲しい。学校経営という視点に立ってPDCAのサイクルをまわすことが基本である。くれぐれも言葉が一人歩きしないようにし、結果を見える形にしていくことが大切である。とりあえずこうするというのではなく、あるべき姿を描いた上で、いつまでにどうするという時間軸を明確にして取り組んで欲しい〟という話をしました。
  21世紀における日本の課題は教育であるのは間違いありません。公立や私立を問わず、他校の良いところを積極的に取り入れ切磋琢磨していくことが大切であると感じました。